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パトリック・タイラー、ベレゾフスキーに単独インタビュー

初出: チェチェンニュース Vol.02 No.04 2002.02.14

「1999年のモスクワなどでの爆弾テロ事件の犯人は、チェチェン人ではなく、連邦保安局(FSB)そのものだ」と明言して、波紋を呼んでいる政商ベレゾフスキー氏に、ニューヨークタイムスのパトリック・タイラー記者がロンドンで直接インタビューした。タイラー記者はこれまでも、主としてモスクワでチェチェン問題の報道を続けている。(www.nyt.com, 2002.02.01)

1999年に、モスクワ、ヴォルゴドンスクなどで連続して発生した爆弾テロ事件で、300人前後の人々が犠牲になった。これらの事件は一件の未遂事件を除いてすべてチェチェン人の犯行とされ、ロシア軍によるチェチェン進攻の最大の理由となった。チェチェンへの空爆と地上軍の進攻が続く一方、「チェチェンのテロリスト」への強硬姿勢が評価されたウラジーミル・プーチン首相は大統領選挙に圧勝し、FSB長官のポストには現在のパトルーシェフ氏が就いた。その間、大勢のチェチェン人が取り調べを受けたものの犯人は見つからず、裁判もうやむやに終わっている。

ベレゾフスキー氏はタイラー記者に、「プーチン大統領個人がテロに関与したことの直接の証拠はないから、プーチンとパトルーシェフ、どちらが命令を下したかはわからない。だが、パトルーシェフとFSBがこのテロを実行したことは、近いうちに証明できる」と答えている。

最近FSBのパトルーシェフ長官が「ベレゾフスキーはチェチェンのテロリストに資金援助をしている」と発表したことについては、「私の疑惑に対する証拠は、オサマ・ビン・ラディンが同時多発テロの首謀者だという証拠より少ないくらいだ。確かに、私がエリツィン大統領(当時)の安全保障顧問だった頃、チェチェンの首相だったシャミーリ・バサーエフを通して、1997年から99年にかけて、援助をしたことはある」と答えた。

この援助金はベレゾフスキー氏のポケットマネーであり、チェチェンのセメント工場の再建のために渡されたという。また、同氏によると誘拐されたロシア人を取り戻すための交渉も手がけ、64人を解放した。この時に支払ったとされる身代金もまた、当局の非難の対象になっている。

ベレゾフスキー氏にはすでにロシア政府から身柄拘束令状が発行されているが、今回のような暴露を通じてプーチン大統領の政治的基盤をゆさぶることで、逆に有利な立場に立つことができる。プーチン大統領とその側近はロシアを救う「強いリーダー」なのか、あるいは権力を掌握するために、罪のない300人のロシア人を殺した犯罪者なのか。

同じインタビューの中で、ベレゾフスキー氏は現在の状況についてこう答えている。「ロシア政府が私を暗殺しようとしているとは思いたくないが、可能性は排除できない。私は今、チェチェンのマスハドフ大統領ともコンタクトを取っている。彼は戦闘によって負傷して、今はあるところで入院している。私は彼の治療のための援助をしているが、こんなものまで利敵行為と呼ぶなら、なんとでも呼べばいい」

タイラー記者のインタビューに描かれるベレゾフスキーは多面的な人物である。もとはエリツィン時代に羽振りを利かせた政商であり、第一次チェチェン戦争と現在の第二次戦争の間はチェチェンでも最強硬派のバサーエフ野戦司令官(元首相)を通じて復興支援をした。現在は国を追われ、自分を守る最後の盾としてプーチン大統領とロシア政府の「巨悪」を攻撃している。まだ明かされていない証拠こそ、彼が母国と取り引きできる最後のカードなのかも知れない。

「私の目的は真相究明だ」と、インタビューの中でベレゾフスキー氏は語り、一通の手紙を示した。送り主はエレーナ・モロゾフさん。モスクワの爆破事件で犠牲となった女性の娘である。<どうか、わたしたちのお母さんを殺した犯人を見つけてください>。ベレゾフスキー氏は最後にこう言った。「今まで、誰もこの手紙に答えていないのだ」

(2002.02.14 大富亮/チェチェンニュース)