チェチェン総合情報
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この戦争に英雄はあり得ない
チェチェン共和国/アフメド・ザカーエフ副首相インタビュー(仮訳)

記事について

ロシアの新聞、ノーヴァヤ・ガゼータ評論員、アンナ・ポリトコフスカヤによるインタビュー記事。2002年5月27日に発表された。チェチェン大統領の特使として、無一文のコスモポリタンとして、ザカーエフという人物がどんな気持ちでこの4年間の戦争を考えているのかがよくわかる。2003年7月現在、ザカーエフはロンドンで、ロシアへの引渡しをかけた審問の被告席にいる。(2003.07.31大富亮/チェチェンニュース)

ザカーエフについての個人情報は「人名ノート」をご参照ください。

*このページは原稿整理が終わっていないので、仮訳として公開します。URLが変更になったときは、チェチェンニュースでお知らせします。訳者のみなさま、ご了承ください。(編集部)


2002年、まもなく夏、第二次チェチェン戦争がはじまって33ヶ月目。戦争がどのように終わるのか、まったく予想がつかない。「掃討作戦」は絶え間なし、中世の火あぶりがどんなところでもに行われている。拷問、裁判なしの処刑も日常茶飯事。争乱にまぎれた略奪は当たり前。ロシア連邦軍による誘拐は、被害者がその後生きていれば奴隷にし、死体になれば身柄引き渡しで商品にするというのが、チェチェンのありふれた日常になった。

1937年風(粛正の嵐が吹き荒れた年−訳注)に、「人間」がある夜忽然と消息を絶つ。

そして毎朝のように、切り刻まれ、醜く見る影もなくなった遺体が村はずれで発見される。外出禁止時間に捨て置かれたもの。何百回、何千回目になるのか、子供たちが自分の村の人がどんな姿で発見されたかを喋っている。今日も、昨日も、耳をそがれていたんだって、頭の皮をはがれていたんだって、指が切りおとされてたんだって・・・

「手の指がなかったの?」いつものとおり少年が確かめている。

「いや、手の指じゃない、足の指さ」

非国家的な抵抗に対する国家テロ。ワッハーブの武装勢力が、村を襲撃し、「ジハード」のための資金を要求。チェチェンで暴虐を極めてきたほぼ10万の軍人と警察たちの、完全な腐敗。当然予想されるテロの増殖、新しい抵抗戦士の募集。

誰の責任なのだ?どうやってこれを解明できるのか?何もかもをどうやって理解できるのか?

チェチェン戦争の主人公たちはどう感じているのか?マスハードフ大統領は?国民に選挙で選ばれ、だからこそ国民の運命に責任をひきうけたマスハードフは?彼は山にはいったきり、国民にとってはヴァーチャルな存在、何につけても沈黙を守っている。彼の戦友たちは?バサーエフは?ゲラーエフは?ハッターブは?

プーチンは?彼はクレムリンにいて「反テロ作戦」の国際的な同盟の重要人物として、世界の注目を集めている。2002年の5月。ブッシュはモスクワにやってきて、兄弟のような仲の良さをアピール。「歴史的訪ロ」を果たした。チェチェンについては一言もなく、まるで戦争などないかのごとくだ。

私は支援を求めて世界の主要都市をかけずり回った。春にはアムステルダム、パリ、ジュネーブ、マニラ、ハンブルグ・・・いたる所で「チェチェンについてのスピーチを」と求められたのに、結果はゼロ。「チェチェンでは毎日人々が死んでいる。今日もまた」と語るのに、西側は「お行儀よく」、拍手で答えるだけ。

あり得ないこととはいえ、全人類的な価値を、全世界が裏切りつつあるのだということは明らかだ。ほとんど半世紀のあいだ維持されてきた世界人権宣言も、この第二次チェチェン戦争で地に落ちてしまった。

ジュネーブでの、眠ったような国連人権委員会から、ウルス・マルタン−チェチェンの大都市のひとつに取材にいく。そこでは流血の停滞。昨年とまったく変わりない。「死の騎兵中隊」―どこの部局に属するのか分からないが、「ロシアの敵」を殲滅することが課題である特殊部隊―が我が物顔に振る舞っている。彼らが殲滅をめざしているのはドゥダーエフ、マスハードフのために戦った者たち、彼らに共感するもの、たまたま、その側に入ったものたちのすべてだ。 2002年5月

いきづまりの憂鬱な空気。

とうとうイギリスにきた。高級ホテル。慇懃なドアマン。眼のすわったごま塩頭の男が、こちらに上がってくる。だぶだぶの淡い灰色の背広を着た、悲壮な疲労感をただよわせた男。肩をがくっとおとしている。チェチェン出身のチェチェン人、故郷のウルスマルタンを離れてもう2年になる。そこに戻りたくても戻れなくなった、そういう戦争になってしまった。ホームレスのようにおちつきがない。慇懃なドアマン、高級ホテル、イギリスのコスモポリタニズムのただ中に住んでいながら、居心地が悪いのだ。昔の面影を探す。「ごま塩頭」の全く別人を、世界は知っている。テレビや様々な紙面で。マスハードフといつも一緒にいて、カーキ色のはちまきをして元気はつらつとしていた。伝説的人物、アフメド・ザカーエフだ。チェチェンの抵抗勢力の少将。ドゥダーエフや、マスハードフの戦友、第一次チェチェン戦争を終結させた、ハサブユルトの交渉の中心的人物、第二次チェチェン戦争では特別部隊の隊長に任命され、2000年3月に負傷し、山を越えて異国に運び出され、それきりチェチェンに戻っていない。今のザカーエフはマスハードフのヨーロッパにおける特別代表だ。わたしたちの会談の場所は、国から国へと変更された。というのも、ザカーエフはロシアによって国際指名手配になっているので、彼は隠れて住んでおり、他人の名義で暮らしている。

「あなたにプレゼントを持ってきました」とザカーエフは挨拶の次に言って、本とビデオを一本、わたしに見せた。

「ありがとう」とわたし。

でも、わたしの手は宙に浮いたままだった。彼はゆっくり本のページを繰って見せ、よくよく振って言う。「見てください、何もはいっていませんね?白い粉とか」あたりまえのように(炭素菌とテロ組織キャンペーンを読者は憶えているでしょうか?−訳注)。

もちろんわたしは恐れていない、でもやはり彼の手元を見守っていた。二人とも、この第二次チェチェン戦争のあいだに堕落してしまった。(削除ロシア人である)わたしはイギリスにいながらも、チェチェン人やチェチェンのテロをとても恐れているロシア人として振る舞うし、チェチェン人は頼まれる前からすべてをはっきりさせておこうとする。それでザカーエフは本を振るって見せたのだ。

そればかりではない。ポケットからキーホルダーをとりだして、カセットの封印をひきやぶった。

「ここにも何もありませんよ」

「アフメド、そこまでしなくても」

「必要だから」

悪気もなく、微笑もなし。気まずい一瞬の間。

「いつウルスマルタンに行ったんですか?」とザカーエフは尋ねた。いつも尾行されていて、背後を気にしている、追いつめられた人の伏せた目に、涙がこぼれる前の潤みが光った。これはまだインタビューではなく、単に言葉をかわしているだけ。ウルスマルタンはザカーエフの故郷、チェチェンの風習からいっても、彼にとっても、もっとも大事な地。

「わたし?10日ほど前に。4月の末」

ザカーエフの眼は相変わらずうつろなままだが、その眼から涙がこぼれた。なにか言わなければ・・・

「あなたの家がある通りを見せてくれたわ」

「それで?」

「破壊されていたわ・・・」

「すっかりじゃないだろう・・・」ザカーエフはチャンスを残そうとしている。でも、土台まですっかり破壊されていることを二人とも知っていた。

「もちろんよ。すっかりじゃないわ」

インタビューを始めなければ。お互いが知っているこの戦争のことを。この戦争と同じ長さのインタビューを。人生と同じ長さかもしれない。わたしたちの運命と同じ大きさであることはまちがいない。

わたしたちが語り合うことの内容を理解するのは容易ではない。ロシアの国家は大量の戦争宣伝、反チェチェンの洗脳を行っているのだから。これを理解できるのは、戦争を知ること、そして戦争をめぐって何が起きたのかを知ったときだけだ・・・。


AP: アンナ・ポリトコフスカヤ(以下AP): 貴方は、「ザカーエフ=カザンツェフ和平交渉」として知られる出来事の一方の主役です。昨年末には、全世界が注目していました。しかし、その後、全ての熱が冷めてしまったようです。一体、どういう結末だったのですか?

アフメド・ザカーエフ: 何にもありません。プーチンの全権代表カザンツェフと我々の会見は、2001年11月18日に、プーチンが9月24日に出した武装勢力は3日以内に武器を引き渡せという声明の結果行われたものです。その声明も会見も、端から国際世論向けの宣伝臭いものでした。我々はそれを良く理解していましたが、それでも、もう一度話しあいたいと望んでいました。しかし、対話は成立しませんでした。というのは、ビクトル・ゲルマノビッチ(カザンツェフ氏のこと)は、自立した政治家ではなく、独自の決定を行う権限を有してはいなかったのです。多分、後で彼は、上部に我々の提案を取り次ぐことすら出来ないのではないかと、私には思えました。我々が会見した3時間に、紛争を終結させるための具体的提案が、彼らの側からは何も出てきませんでした。ただただ、「降伏しなさい。」「我々と一緒にやろうじゃないか。」という以外はね。

AP: それは、武装勢力に対して恩赦を与えるという提案と理解出来なかったのですか?

恩赦なんてとんでもない。そんなニュアンスはありませんでした。ただ、「もう、戦争しすぎだ、手を組むべきだとね。」

AP: それでは、貴方がたの提案はどんなものだったのですか?まだ、それはもう無効になっていますか?

いや、まだ効力はあります。1つ。あらゆる戦闘行為の速やかな停止。2つ。彼らが決めたら良いのですが、国家委員会ないし政府代表団による交渉に向かっての2つか3つのワーキンググループの組織。3つ。将来の相互憎悪以外なにももたらさない、いわゆる「掃討作戦」の速やかな停止。4つ。マスハドフとの協力関係の再開です。

AP: どのような質のものでですか?

言うまでもなく、国を代表する人間が交渉にあたるということです。私はカザンツェフ氏に、我々はロシアが、国家の一体性について語るのを受け入れる用意があるとも伝えました。

AP: それは、チェチェン抜きのものですか? どういった形態のものを考えているのですか?

そういうこと自体が交渉の題目です。そういった可能性は実際にあるのです。私はカザンツェフ氏に「我々の考えはお聞きいただきました。これなら我々が受け入れられるということをご理解いただけたと思います。それで、貴方のお考えでは、これはプーチン氏に受け入れられるものでしょうか?」で、彼が答えるに、およそ99%は受け入れられるというのです。でも100%かどうか、それを決めるのは大統領自身だと。そして、我々の会見は絶対に進展するだろうとも、付け加えました。

AP: それで?

あとは、何も無しです。その後も我々の補佐官レベルでの接触は続きました。電話によるものですが。しかし、カザンツェフ氏自身とは話し合っていません。我々としては、話し合いを続けることは、道義にかなわぬこととなったからです。その後のチェチェン情勢は、「掃討作戦」が中止されるどころか、一層苛烈なものとなりました。と言うことで、互いに再会の試みは断念されました。

AP: 交渉は、1対1でなされたのですか?

はい。ただし、モスクワに私が飛び、シェレメーチェボ空港第2ターミナルの国際ゾーンに行き着くまでは、一人だった訳ではありません。私の安全保障をトルコの自由民主党の指導者が引き受けてくれました。それと、モスクワのトルコ大使館も公的に支援してくれました。

AP: 和平交渉は、今日どのような状況となっているのでしょうか?

どのようにも、それは存在していません。和平への対話はありません。あるのは、戦争の継続です。原因は戦争を止める責任を自分でとれる人物が、ロシアの指導部にいないことにあります。軍人がロシアに対して、あれこれ指図をしています。私が見るところエリツィンとプーチンの相違は、エリツィンは支持率は低かったが権威はありました。プーチンは高い支持率を誇ってるようですが、権威が無い。戦争を終結させるという行為には、将に強烈な政治的な意志を発揮する源となる権威が要求されます。

AP: では、もし明日にもまた、カザンツェフ氏が電話してきて「会いましょう。」と言ってきたらどうなさいますか?

はいっきり、お断りします。また何か政治的な状況で提案されるかも知れませんが、たとえばブッシュがやって来るからとか。でも、カザンツェフ氏とは、もう駄目です。 もし、プーチンがマスハドフを和平交渉にクレムリンに招くと言ったとしてもですか?

マスハドフも行くことはありません。

AP: どうしてですか?

おなじ水を2回飲むことは不可能です。第二のハサブ・ユルトは、もうありえません。マスハドフは、過ちを繰り返す事はできません。ロシアを信じて、また数年して戦争という過ちを繰り返すことは出来ません。

AP: 最近のイングーシ共和国大統領選挙でFSBの退役将軍ジャジコフ氏が選出されたことは、第二次チェチェン戦争とマスハドフ陣営への影響は如何でしょうか?

我々自身にとって、どうと言うことはありませんが、イングーシ国民自身にとっては、大いに問題があると思います。イングーシを第二のチェチェンとしようとするものと確信します。軍部は、自分たちが国を仕切るヘゲモニーを手放したくないのです。それには、新しい地域紛争、を作り出す以外に方法は考えられません。現在のロシアというものは、何かしら敵が存在していなくてはならないのです。対外的な軍事力は不足していますが、国内的には常に作戦の遂行能力があります。チェチェン人の次は、チェチェン人に親近感を寄せるイングーシ人だと言うわけです。軍人どもには、チェチェンで搾取し、略奪した、そういう戦闘区域の拡大が不可欠なのです。今後、イングーシにおける戦争機運が「煮詰められていく」という進展が見られるでしょう。

AP: イングーシにおける戦争というのはいつ頃始まると予想されますか?

夏からか、あるいは秋には。カスピースクでのテロ事件は偶発的なものでは、ありません。私は明確に言明しておきます。チェチェン人も、我々の戦いに同情的な勢力もあの事件には無関係です。

AP: 野戦司令官のラッバニ・ハリロフは、どうなんですか? 治安機関は、テロ事件発生当時から、彼を指名手配していますが。彼が事件と無関係であると確言できるのですか?

私には彼が事件の関係者であるかどうかを言うことは出来ません。私が言えるのは、彼が我々、チェチェン人とは、無関係だと言うことです。我々は他の方々と同様、5月9日のテロ事件の発生後に、テレビ報道で、ハリロフと言う人物の名を知ったのです。第一次チェチェン戦争でも、第2次チェチェン戦争においても、我々の戦列に加わって闘ってきた者の中には、そういう姓名の者はいません。我々の中には、ダゲスタン人は沢山いますが、何処の部隊にもそんな人物はいません。思いますに、ロシア特務機関の武器庫には、この人物に類するのが、沢山いても不思議でありません。彼らは、このような手口で世論の「対テロリズム戦争」機運を高めていこうと工作しているのです。

AP: マスハドフ氏は、ハリロフのことを知っているでしょうか?

それは100%ありえません。

AP: 貴方はハッタブとバサーエフの死が事実か否か、確言できますか?

バサエフは生きており、ハッターブは死んでいます。ただ、ロシアの特務機関は、ハッタブの死と直接の関係はありません。彼らはビデオカセットを手に入れたに過ぎません。特務機関にとっては、ハッターブの死は、不都合なものでした。それで、時間がかかっても新たなハッターブを作り出そうと懸命になっています。彼らは当初、ビデオカセットを隠して非公開に持ってこうとすらしていました。公開することになったのは、ハッターブとアルカイーダの関係を疑うアメリカの圧力があったからです。彼らは国際テロリズムへの共同行動の枠組みの中でロシア特務機関に、ハッターブの件で具体的な成果を要求していました。そこで、「高度な秘密作戦」なるものが、でっちあげられたのです。ただし、現実にはそんなものはなく、ハッターブは、定命で死んだのです。

AP: どういうことで?

単純に、夜があけたら、彼は死んでいたということです。

AP: 我々への通報者である特務機関の将校は概ね、次のように語っています。極秘作戦は、送り込まれた秘密工作員が、ハッターブを毒殺するのに成功したと。貴方はご存じでしょうか?解剖が行われたとか、法医学の専門家が立ち会われたかとか、彼の死に関しての公的な証拠の存在とか、彼の遺体の埋葬された具体的な場所とか、埋葬に立ち会った野戦司令官たちとかは?

まず法医学の専門家はいませんでした。死因を公的に確定する事も行われていません。彼はチェチェンに葬られました。ノジャイ・ユルトとベデノ両地区の間の山間部です。彼の兄弟の出した遺体が出身地サウジアラビアに送り出されたという声明は、戯言に過ぎません。秘密裏にチェチェンからサウジアラビアに遺体を運ぶ手だてなど全くないのですから。葬儀は、彼の周辺の人々たちのみによって執り行われました。

AP: 貴方は、FSB(連邦保安局=KGBの後身)がハッターブを偶像に仕立て上げているとするマスコミの報道をどうお考えでしょうか?

ハッターブは、チェチェン抵抗運動の一介の戦士に過ぎません。それは、バサエフについても同じ事です。私は、誰であろうと、ジョハル(ドゥダエフ)であろうが、シャミーリ(バサエフ)であろうが、アスラン(マスハードフ)であろうと、偶像化することにはずっと前から、反対してきました。このような行為は、我々全体の問題を個人の問題にすり替える、宣伝臭の強い行為として行われてきました。チェチェン問題というのは政治的なものなのですから、我々の闘争には、ラドゥエフだろうが、マスハドフだろうが、ザカエフ、バサエフ、ハッターブが死のうと、大きな変化はあり得ないのです。政治的に問題が解決するまで戦いは続きます。

AP: 貴方は、バサエフが生きていると言われましたが、マスハドフもそう思っているのでしょうか?

はい。私は一昨日にもマスハドフと連絡を取りましたが、マスハドフはそう言っています。もう一度繰り返しますが、我々全員、たとえマスハドフ自身が死んでも、それでチェチェンの問題が軽減されるというものではないのです。チェチェン人には戦争がプーチンにとって有利な時期に持ちこたえたと言うことが、重要です。現在は、プーチンにとって有利ではありません。ですから我々は、この戦争を継続します。たとえ戦争が今日終わったとしても、チェチェンとロシアを巡る政治的状況が変わらなければ、次なる戦争が、5年も経てば再開されるでしょう。そのときには、新しいマスハドフ、別のバサエフが出現して再び民衆を鼓舞して立ち上がらせるでしょう。そして過去に如何なる犠牲が払われたのかを思い起こさせるでしょう。加えてこの流れをロシア側が強めています。ロシア側からの時を追って激しさを加える懲罰行動(掃討作戦)を、人々は経験しています。ですから、将来どうロシアと生きていくのかという根本問題を解決すること無しに抵抗運動を停止することは、民衆にどれほど過酷な状況を負わせるかわかりません。最近では、このことは当初、プーチンに同調していたルスラン・ハスブラートフのような人物も含めて、共通認識となっています。

AP: 貴方がたにとっての第2次チェチェン戦争の終結とは、どんなものなのでしょうか?具体的に答えて下さい。

あらゆる戦闘行為の停止。そしてマスハドフの活動公然化。これらが基本条件です。彼の生命への安全保障。言葉づらばかりの交渉はもう結構です。ロシア軍はチェチェンには残留させません。私は、このことは確信しています。あと2年間我々の側が持ちこたえるなら、ロシア軍の退去は実現します。

AP: あなたの確信の源泉は何にあるのでしょう?

論理に反する現象は成立しないからです。チェチェンにおいてロシア軍は自分自身を懲罰者に位置づけてしまいました。彼らは撤退を運命づけられています。たとえそれを、1-2-3-5年と引き延ばすことは可能であっても、最終的に民衆に勝つことは不可能です。

AP: 貴方は、マスハドフや、貴方が今日でもチェチェン国民を代表していると本当に信じているのですか? また、チェチェン国民の名の下に行動できると思っていられるのですか?

その質問が出ることを期待いたしておりました。私自身は今日、チェチェンにはおりません。それで、自分自身には心苦しい点もあるのですが、私が心休まる点は、マスハドフがチェチェン国内で戦っているということです。マスハドフを大統領に選出したのはチェチェン国民です。ですから、マスハドフは、チェチェン国民を代表できるのです。私については、マスハドフの特別代表です。ですから、私自身もある意味では、チェチェン国民を代表しております。

AP: 貴方は、カディロフ氏(親ロシア派チェチェン行政府長官)をどう見られますか?

カディロフ氏には、チェチェン国内では、将来性はありません。チェチェン国民はモスクワが任命した人間というものを認めたことは、一切無かったからです。1991年からずっと、こういった試みは繰り返され、巧く行った試しはないのです。

AP: しかし、カディロフ氏は、貴方がたの方、マスハドフにこそ、チェチェンでは将来が無いと言ってますが。これはチェチェンの内戦とは言えませんか?

私は、現在彼を権力の座に据えている連中が、カディロフを肉体的に抹殺するだろうと見ています。多分、チェチェンを引き揚げていく時までに。

AP: もしも、引き揚げが実現すればね…

私はロシア軍の自然発生的な引き揚げという可能性も否定しません。というのは、ロシアにとってこの戦争の評判は、悪くなる一方だからです。カディロフ氏の問題は、チェチェンの問題ではなく、彼を据えた人々の問題です。カディロフ氏は今、彼とその取り巻きに敵対する人々を内戦に突入させようと挑発しています。その目的はロシア軍がチェチェンで犯してきた非道な戦争犯罪の責任をうやむやに葬り去ることにあります。

AP: 戦争犯罪の責任について言うなら、それは何もカディロフの側だけにあるのでは無いでしょうが?

はい、それは良く理解しています。我々の側で言うなら、マスハドフも私も、国際法廷に出頭して、チェチェンで起こった事への自分たちの責任について裁きを受ける覚悟でいます。戦争犯罪者たちとともにです。チェチェン人にとって、そうした国際裁判の実現無しには、チェチェンのロシアとの戦争は永久に終わることは無いでしょう。何故ならロシアの将軍たちは、今やチェチェンでの流血により出世し、勲章や称号をもらい、略奪行為により金を貯め、政治家になっていきます。そして、一回も血を流すと言うことに対して誰も、何時も責任を問われることがないことに慣れっ子になり、自発的にこの悪しき慣習をうち切ろうとは考えていないのです。ですから、裁判によって彼らを明確に断罪することが重要なのです。でなくては、再び悲劇が繰り返されることになります。

AP: でも、貴方の側はそんなに簡単では無いのではないですか?現在、貴方がたに統一はとれてないのでは無いですか?全員が国際法廷の裁きを受けるつもりは、無いのでは?皆がマスハドフに従うんですか?

だったら言わせて下さい。マスハドフには、1日でも平和な日があったでしょうか?彼の指揮下にあるものが、彼の命令に従うか、従わないか証明できる日が?マスハドフには、自分の部隊に、撃つなと命令できる日は、これまで無かったではないですか?それで、マスハドフは、抵抗勢力を統率できていないとは、良く言えたものですね。1991年以来、チェチェン人は、お互いに敵同士だという暗示にかけられ続けてきました。しかし、他の東洋系の民族と著しく違った気質が我々にはあるのです。それは、「血とは、正気に返らせるものだという」ことです。チェチェン人は皆、「流血には、責任を取らねばならぬ」ということを知っています。

4月末にグローズヌイで18名のチェチェンのOMON(民警特別任務部隊)員の爆殺事件がありましたね。もう一度繰り返しますが、これはチェチェンの内戦ではないのですか?血の復讐を誘うようなものではないですか?OMON司令官のガジマゴメドフは、自分が部隊に加え、犠牲となった隊員たちの家族のためにも、殺人者を捜し出し、下手人を抹殺しなくてはならないでしょうに?

私は、疑いもなく真犯人はロシア特務部隊の仕業だとみています。

AP: そう言うのは簡単ですが、何処に証拠があるんです? どうして彼らの仕業といえるんですか?

チェチェン人の気質というのは、そういうものだからですよ。チェチェンの部隊では何事も隠し事は不可能だからです。何事につけですね、誰かが、何かをやったら、絶対誰かに話さずにはいられないんです。それを聞いたものは、自分が誰がやったか知っていると、誰かに話さずにはいられません。ところが、今みんな沈黙しています。やったという話が出てこないのです。これは、誰もやっていないと言うことです。

AP: 貴方が考える、チェチェンを代表する人物として、大部分のチェチェン人を納得させられる妥協的な人物というのは誰でしょうか?まさか、マスハドフでは無いでしょう?

妥協的な人物など出てはきません。国民が選出した大統領がいるのです。

AP: でも、彼は辞めてしまうのではなですか。現在多くのチェチェン人が、もしマスハドフが合法舞台に姿を現したら、即日大統領職を辞して、全権をモスクワにも、チェチェン人にも受け入れられる妥協的な人物に譲り渡すだろうと、語っていますが。

マスハドフが辞任することはあり得ません。彼は、シャミーリでは、ありません。アスランはそんな風に職から去りません。大統領職は、マスハドフの世襲領地ではなく、国民の意思なのです。誰かに彼が譲れるものでは無いのです。

AP: アスラハノフとか、ハスブラトフとか、クレムリンにも受けが良く、チェチェン側も否定的でない人物がいるではありませんか?国民を救うために、マスハドフからそう言った人物に権限を譲って妥協するということは、ありえませんか?

移行期が必要かどうか?それは、クレムリンが決めることではありません。それは、チェチェン国民が決めるべき事です。選挙を通じて行われるべきです。国民がアスラハノフを選べば、彼がマスハドフにとって代わります。

AP: そう言う選挙がいつ頃なら可能と貴方はお考えでしょうか?

私は、戦争がまだ後1年は続くと見ています。選挙はその後ですね。

AP: マスハドフが犯した最大の誤りについて、どうお考えですか?

それは、彼の誤りではなく我々皆の誤りです。ハサブユルトの後、クレムリンが我々に送った宣伝的な偽札を、我々が真札だと思いこんだことです。俺たちは第一次チェチェン戦争に勝ったんだという思いこみです。これは悲劇的な過ちでした。そのつけを、これまでずっと我々は払い続けているのです。我々だけでなく、全国民がです。あれは勝利などではありませんでした。12万人もが死に、全てのインフラが破壊され、畑も村や町も傷ついていました。それなのに、我々は勝利の祭典を催し、勲章や称号を振る舞っていました。きちんと、我々が当時に、国民に対する非人道的な戦争行為とその犠牲者の調査・追求を始めていれば、第2次チェチェン戦争を回避できたかも知れないのです。しかし、我々はそれをしないで、勝利に酔って、現在を招きました。

AP: 今でも貴方がたは、チェチェンの主権を主張する立場にいられますか?

もしもチェチェン国民の安全を保障する他の良い選択肢があるのなら、それを選ぶ用意はあります。でもそれは、プーチン政権と語り合うテーマではありません。

AP: では、そう言った討議はだいぶ先の話ですね。プーチンは第2期も担当しようという意気込みですから。

プーチンの問題はロシアの問題です。

AP: でも、ロシアの問題は、チェチェンの問題でもありましょう?

もちろん、そうも言えます。しかし、その問題はチェチェン人には遠い問題です。我々に残った選択肢は、抵抗運動を続けると言うことしかありません。私は、もともと事態の中心にいるのが肌に合っている人間です。それが、遠くチェチェンを離れて、ホテルのロビーで抵抗運動について語るという事で、複雑かも知れませんが、私を正確に理解していただきたいです。多くのチェチェン人が、今は抵抗運動を続けるしかないということを、私とも、マスハドフとも、バサエフとも関係なく自覚していること、特に若い世代がそう感じていることを理解していただきたいです。

AP: 貴方は個人的には戦争に飽き飽きしてはいませんか?

でも、私に他の選択がありましょうか?

AP: 戦争が終わったら、マスハドフは何処で暮らそうとおもっているのでしょうね?

チェチェンですね。それは疑いありません。私もチェチェン国外にいるのは、私がヨーロッパと、幾つかの国際機関に対してマスハドフの代理を務めるよう任務を帯びているからです。そして、私はチェチェンから自分の意志で出てきたのではありません。戦いで負傷している間に運び出されてしまったのです。私は必ず祖国に戻ります。まあ、その為に生きているようなものですから。

AP: 現在の貴方の暮らしは、あるホテルから別のホテルへ、ある国から別の国へと際限のない旅をする旅人のように見えます。今のご自分をどう感じていられます。「17の春が一瞬のうちに過ぎ去っていく」隅っこへ追われた追放者とか、非合法活動家とか?

私が自分は何者かと問われれば、故国に戻って暮らさねばならないと感じている一人のチェチェン人と言うことでしょうね。

AP: 貴方は自分の故郷、ウルス・マルタンに将来帰還されるときの姿をどの様に思い描いていられますか?

それは、非常に個人的なご質問ですから、お答えしたくありません。しかし、はっきりしていることは、一つあります。それは白馬に乗った凱旋将軍の様なものでは無いということです。

AP: 第2次チェチェン戦争の後、チェチェンでは誰の記念碑を建てることになるのでしょうか?

誰の記念碑も。この戦争の後に英雄はあり得ません。勲章の授与も。民族は完全に蔑まれ、侮辱されました。人々の暮らしは、ずたずたに傷つけられました。もし真実の英雄がいたならば、自分の民族に、これほどの悲惨をもたらしは、しなかったでしょう。

原文:
http://2002.novayagazeta.ru/nomer/2002/37n/n37n-s09.shtml
訳: T.K/渡辺千明 (ChechenWatch)