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2002年11月5日
チェチェン、ロシア連邦
モスクワの流血の悲劇。
モスクワで悲劇が起きた。ミリニコヴァ通りの文化会館突入は人質であった、観客の若者たち、何の罪もない一般市民の一割以上の犠牲者を出した。
この悲劇はマスコミが遂行された作戦を「見事だった」と繰り返し勝ち誇ったように報じることでさらに深められている。10月26日は終日テレビでもラジオでも誰一人人間の声を上げなかった、生身の独立した意見は流されなかった。
このような作戦を「見事な」といえるのは唯一次のような場合だけだ。「人質が解放され、テロリストが逮捕されて治安機関の手にわたり、誰の死体もない」それ以外はどんなときであっても「見事な」などとはいえない。
10月26日の夜90人以上の人質が亡くなったと報じられたこの数字からも「人質解放作戦」が完全に失敗だったことは明らか。今ではすでに120人以上となっている。 解放される人の命を奪ってしまうならそれは解放と言えるのだろうか?どこの局でもFSBの職員が主張しているのは「もしも突入しなかったら、テロリストは全員を殺していただろう」というもの。 しかし、90人以上もの罪のない市民を殺すことなど「もしも」などでは決して正当化できない。 人々の命を救うために突入を始める必要があったという説得力のあるいかなる理由もだれもあげることができていない(人質たちを犯人が射殺し始めたという嘘が語られているが。そんなことはなかったとノルドオストの観客であった人々が証言している)
10月23日に武装した集団が若者向けのミュージカルの観客1000人あまりを人質にとった。この事実はもちろん犯人をテロリストと呼ぶのに十分だ。12歳以上の子供たちの解放を拒絶したことは重大な犯罪だ。しかし、情状酌量の余地なしというものではない。 テロリストは金銭や武器、麻薬、ヘリコプターをようきゅうしたのではない。彼らはチェチェンでの戦争停止を求めたのだ。つまり、ロシア社会全体にとって酸素のようにひつようなそのことを。あのうちの多くのものにとって絶望の第一歩であり、亡くなった肉親を狂気で追悼するというものであり、 決して正当化が許されるものではないとはいえ情状酌量されるべき部分であり。したがって、この人たちをマンハッタンの爆破犯たちが一瞬にして、なんの説明もなしに4000人以上の人々と並べて議論することはまったくのナンセンスといわねばならない。
方法として決して許されないものであったとはいえテロリストたちは正当な要求を出していた。
もちろん戦争の継続を望んでいる軍やそのほかの強権機関は 人質解放のためにチェチェンの平和のためにと一歩を踏み出したならばそれは自身の野心に動かされてであっただろう。しかし、大統領がそうした一歩を踏み出したならばそれは人間らしさの勝利であり、かその国民に対する歩み寄りを大きくアピールすることになっただろうし、人道性、人権を守るという彼の姿勢を証明することになったはずだ。 人々の命を救うためだと称して、交渉の席に着くと約束することさえできたはずだ、交渉の席につくことをロシア社会の良識ある人々はずっと以前から訴えてきたのだ。
ところが、大統領は別の道を行った。チェチェンで戦争が続くことが好都合である治安機構、強権機構の利益のために一般のロシア市民の利益は無視したのだ。
テロリストたちの理屈は裏切られた。 彼らはグローズヌイの一般市民の命を無視した権力が劇場の観客の命まで無視するだろうとは思わなかった。今政権についているのが、ブジョーノフスクで のように突入を避けることができる議員や人権運動家のような人々ではないということを忘れていた。 それで人質事件は始めから終わりまで非人間的な狂気とありふれた愚かしさに貫かれていた。 いくつかの状況で以下のようなことを考えさせられる。
人質事件を指導していたのは チェチェンでも名高い残虐な強盗のバラーエフ一家であり、FSB にもっとも近しくしていることで有名な人たちだった。 アルビー・バラーエフの一派はFSBの職員証を使ってチェチェン中どこでも自由に移動できることは有名な話だ。人権活動家のヴィクトル・ポプコフ氏がバラーエフ一派の手で銃撃殺害されたとする重大な証拠もある。コムソモールスコエ村の悲劇のとき、まさにアルビ・バラーエフが戦闘員を村に連れて行き、そこには包囲の罠がしかけられていて、アルビは姿をくらましたのだ。
バラーエフの身内にこのような狂気の行動へ向かわせたのは何だったのか?どのような勢力が働きかけていたのだろうか?特務機関と検問所がところ狭しとひしめきあうあのチェチェン国境をどのようにしてこの人々が抜け出し、モスクワまで行き着けての家?そして、なぜ、FSBは突入のときに誰一人生け捕りにしようとしなかったのか?起きていることを詳細に調査しようという気がなかったとでもいうのか?これら、すべてのことはまだよく考え推測しなければならない。
この事件のもっとも苦々しい味付けをしているのが、果てしなくテレビで流されている虚偽報道だ。人質やその家族たちが平和を求める当然の訴えを「ストックホルムシンドローム」と解釈している。平和、流血の停止という考えそのものをまるで否定的な、悪い考えであるかのごとくいい、要求そのものを不当なものであるかのように報道する。そして、起きていることについての情報は断片的に見せる。視聴者はホールでおきていることを見られないし、テロリストがどういうことを言って、何を要求しているかも聞くことができない、非常線がはられていて記者たちは交渉をしたひとたちに近寄ることもできなかったのだろう。死体に対する侮辱―倒れているバラーエフの死体の手に封を切っていないコニャックの瓶を持せたことはどうなるのだ?決死隊の女性が酒のにおいをさせていたという主張は? そして、勝利の拍手をともない、果てしなくしたいと血を見せつけるのは?
言い残されているすべてのことから浮かび上がる
銃声などまずなかった。 バラーエフ一派は眠っているところを射殺された。
客席から運び出すのがまにあわなかった、あるいは身体の弱いものはガスによって殺された。ほかのやり方だったら、ほかの結果になっていただろう、というのがわたしの見解だ。
10月25日にモスクワでは平和を求める集会が自然発生的に行われた。 「言論の自由」というNTVの生番組では平和と交渉の側にたつ多くの意見が聞かれた。そのすべてが治安機関に どんなことをしてでも、人間の命など大事にせずに、この事態を終わらせることを急がせた。彼らにとっては今一番重要なのは 戦争と流血の継続だからだ。その政策の人質になっているのはロシアの全市民だ。
Опубликовано 26 октября 2002 года
Автор: Елена Санникова
Источник: Информационно-аналитический центр им. Виктора
(2002年10月26日公表
筆者 フリーのジャーナリスト:エレーナ・サンニコヴァ
ヴィクトル記念情報分析センター)
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