チェチェン総合情報
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サドゥラーエフの新人事からチェチェン独立派の今を読み取る

 2005.09.01 岡田一男(映像作家)

 第2次ロシア-チェチェン戦争におけるチェチェン側最高司令官でありつつも、5年間にわたりロシアとの和平を一貫して志向したアスラン・マスハードフチェチェン共和国(イチケリア)大統領が殺害されてまもなく半年が経つ。ロシアとの長期にわたる戦争完徹を覚悟したアブドゥル-ハリム・サドゥラーエフ大統領の時代の特色を明確に告げる独立派政府人事が、チェチェン共和国大統領令という形で8月25日に公表された。

 もちろん大きく目立つのは、数々のテロ事件を引き起こしてきた野戦司令官シャミル・バサーエフを敢えて第一副首相としたことだ。サドゥラーエフは6月初めに、大統領である自分が、戦死したり、捕虜となって職務を執行できなくなった場合、大統領職務を引き継ぐ副大統領に独立派政府席次ナンバー4の野戦司令官ドク・ウマーロフを任命したが、チェチェン独立派地下政府の公的職制のナンバー2にバサーエフを組み込んだ。今後の独立派政府の軍事ブロック=軍事・治安活動の実施責任は、バサーエフが負うこととなる。バサーエフに首相・第一副首相の地位をあてがって責任を持たすことは、戦間期のマスハードフ政権も行ってきたことで、特に新味はないが、現時点で敢えて行ったと言うことは後述するように大きな意味を持つ。その一方でバランスを取るかのように、ロンドンにいるアフメド・ザカーエフをして副首相と外交活動の統括責任者とした。

 丁度今から1年前の2004年8月初め、サドゥラーエフは、マスハードフの指名した後継者という立場を秘したまま、最高シャリアート(イスラム法廷)議長としてマスハードフに同席し、ビデオ撮りによる記者会見という形で重要な声明を発していた。そこで彼らは、その6月下旬に起こったイングーシ騒乱事件が、地元のイスラム戦士達の蜂起ではなく、バサーエフの指揮するチェチェン共和国東部戦線軍と、ウマーロフの指揮する西部戦線軍というチェチェン軍主力部隊が合同して展開した大軍事作戦であったことを公式に認めた。この作戦でチェチェン軍は、イングーシ領域に700名以上の戦闘員を一気に投入した。そしてイングーシ共和国内務省の武器庫から、1,000丁近い自動火器を奪って、数年間の武器損失を一晩で回復した。この作戦は、それまでのチェチェン軍の作戦範囲をチェチェン国内に限定するという方針の撤回をマスハードフが正式に承認したものでもあった。それと前後して、マスハードフは、西欧諸国にいる独立派政治家達の内紛に対し自らの裁定を下した。

 2004年春、ワシントンにいるイリヤス・アフマードフ外相は、デンマークを中心に北欧諸国で活動している、ウスマン・ファルザウリ第一外務次官を解任した。この人事に関し、在欧のチェチェン人社会の一部から不満の声が高まった。その中で、ファルザウリを第一外務次官に復帰させるという大統領令が、ザカーエフの指導下にある国営通信社「チェチェンプレス」に掲載された。ファルザウリと親しく、コペンハーゲンにおける世界チェチェン人会議を2002年秋に推進した仲でもあるザカーエフは、この人事を歓迎した。しかし今度は、外相が人事権を持つ職責を、外相の意志を無視した形で大統領が任免できるのかという批判が、世俗主義的な立場にあるサイト「チェチェンタイムス」を中心に提起されると共に、そもそも復職を決めた大統領令が偽物ではないかという疑惑をチェチェン共和国大統領在外総代表の地位にある、ウマル・ハンビーエフ保健相が表明した。

 2004年7月にマスハードフは、その大統領令が偽物であるとし、偽の大統領令を掲載した「チェチェンプレス」を厳しく批判した。そしてザカーエフを譴責し、彼から「チェチェンプレス」の指導者としての地位を取り上げた。マスハードフは、最高検察庁に対し、偽大統領令の背景糾明を命じた。これに対してザカーエフは、その偽大統領令が、彼の手許には、従来から彼の手元に届く命令書の経路で届いたものであると弁明した。ベスラン事件の発生で、ザカーエフはマスハードフ政権の意向を代弁して奮闘したが、その9月初めまで、しばらくの間、鳴かず飛ばずの沈黙を余儀なくされていた。

 今回のサドゥラーエフ人事を見ると、ザカーエフは外交ブロックの統括責任者として対ロシアを含めた対外交渉の全権代表たることを認められるだけでなく、北欧駐在代表にすぎなくなっていたファルザウリが外相に昇格し、彼らは完全な復権を見せただけでなく在外活動の中心となった。ワシントンにいるイリヤス・アフマードフは、一般にパリ・プランと呼ばれているチェチェンの和平提案の推進者であったが、外相を解任されたうえ、新しい任務は今のところ公表されていない。在外大統領総代表を解任されたウマル・ハンビーエフが保健相の地位を保ったのに比べても、厳しい評価を下されたようだ。ハンビーエフの指導下にあった大統領在外総代表部の閉鎖は、未だ主たる批判の理由が何なのかは明らかでないが、平和交渉を匂わせてマスハードフ大統領を罠にかけた昨年秋から、本年3月の殺害に至るロシア特務機関の工作が、西欧諸国首脳を経由して、在外総代表部を通じて行われたものであることと無関係ではないだろう。

 新人事を承けて8月29日、ザカーエフ副首相は、再組織される外務省に離散民対策部を設置して、今や20万人に及ぶ全世界に散ったチェチェン・ディアスポラの連携強化と権利保護を図るという構想を「ラジオ・リバティー」のインタビューに応えて語った。これは、ある意味極めて現実的な政策である。欧米諸国政府への未承認国家イチケリアのロビー活動よりも、在外チェチェン国民保護を優先させていこうというもので、苦しい立場にいるコーカサス出身難民全体を勇気づける施策である。新しい外相がいる北欧は、今や数少ないチェチェン人難民を積極的に受け入れている国々でもあるのだ。翌30日にサドゥラーエフが署名した新たな大統領令は、さらに踏み込んで、閣僚会議外交ブロックは、名称も「外政・人道ブロック」と改められて、人道支援活動強化を一層印象づけようとしている。

 サドゥラーエフは、残る二つの重要部門、経済財務ブロックと情報ブロックは自らが統括するとした。経済財務ブロックには、戦費調達という重要課題があり、情報ブロックには、チェチェン戦争下の情報戦遂行という重要課題があり、これは、当然と言えば当然なことである。サドゥラーエフは、大統領直属の広報部責任者を置いた。こうした中でザカーエフの情報部門支配は終わりを告げた。これまでザカーエフは、独立派の戦時組織、国家防衛評議会(GKO=MS)の情報委員会議長と、チェチェン政府の文化出版情報相という立場であったが、文化・出版情報相から文化相となり、彼の職責の一部は、これまでGKO=MS情報委員会在外情報部責任者であったモブラディ・ウドゥゴフが引き継いで、出版情報相となった。ウドゥゴフは、チェチェン独立派サイトの中で最も規模の大きなイスラム系民営サイト「カフカス・センター」の創設者として、またイスラム急進主義のイデオローグとしても知られてきた。

 ウドゥゴフは、もともとジャーナリスト出身で、ドゥダーエフ初代大統領の報道官を振り出しに、情報相、第一副首相、外相などを、ドゥダーエフ、ヤンダルビーエフ、マスハードフ政権初期に務めた。戦間期に野党色を強め、一時はマスハードフの政敵となった。ロシア側に挑発されて発生した1999年のダゲスタン侵攻事件のきっかけは、ダゲスタンにおけるウドゥゴフらの煽動という側面もあった。それ故、バサーエフ=ハッターブよりは、むしろ彼に大きな責任があると言われている。ザカーエフの下で世俗主義的傾向の強かった国営通信社「チェチェンプレス」と、ウドゥゴフの創りあげた宗教色が顕わな「カフカス・センター」はきわだってきた。しかし、2002年以降のマスハードフ派とバサーエフ派の統一指導部結成は、次第にその違いを薄めさせてきた。両サイトは、かなりの記事を互いに転載しあっているし、相互に補完し合う関係となっている。また「カフカス・センター」は近年、必ずしも「バサーエフ派」のプロパガンダサイトとは、必ずしも言えない側面も見せてきた。ウドゥゴフのインターネット時代への認識には、極めてシャープなものがあり、ロシア特務機関は、彼を非常に恐れてもいる。この中で9月1日に公布された大統領令では、新たに「ダイモーク」通信社に対し「チェチェンプレス」、「カフカス・センター」と同等の権限が与えられることになった。今後、チェチェン独立派の諸サイトが、どのような方向に向かうのか、我々はその動向を注意深く見守っていく必要があるだろう。

 サドゥラーエフは、バサーエフが、独立派軍事組織の中で大きな力を持っていることを公式に認める一方、副大統領と、外政・人道ブロックには、イスラム主義に対し一線を画してきた、ウマーロフやザカーエフをもってきて、バランスを取っている。筆者はチェチェン独立派の内部を「穏健派」と「過激派」という風に単純に図式化することの危険性を以前から繰り返し指摘してきた。主観主義的で非現実的なその様な色分けに固執すると、マスハードフもサドゥラーエフも、怪しげなキメラの様な存在となってしまう。マスハードフは生前、繰り返しバサーエフ流のテロ戦術を否定し、チェチェン独立派政府、軍の作戦として、そのような手法は採用できないとしてきた。一方で、大きな敵ロシアとの過酷な戦いを前には、バサーエフとその影響下にある勢力とも共同してロシアと立ち向かわねばならないという立場を堅持し続けた。

 6月から7月にかけての一連の「ラジオ・リバティー」インタビューで、サドゥラーエフもウマーロフも、異口同音にバサーエフと共に戦うことを肯定しつつ、自らが、あるいはチェチェン政府、チェチェン軍がテロ戦術を受け入れたものではないと強調し、例え「ロシア側が長年にわたってチェチェンの子ども達、婦人達、老人達を虐殺しているからと言って、ロシアの非武装住民、とりわけ子ども、婦人、老人を攻撃の標的には出来るものではない」と語ってきた。この中で、以前から「敵がお前らになしたように、お前らも敵になして戦え」とするコーランの言葉を引用して、自己を正当化してきたバサーエフは、ラジオ・リバティーのアンドレイ・バビツキー記者のインタビューでは、「シャリアー(イスラム法)は、敵の戦法を自らも採ることを許しているが、限度はわきまえなければならない。我々は限度をわきまえている」と、若干ニュアンスを変えている。また、バサーエフはバビツキーの質問に対し、自分がロシアと戦うモチベーションが宗教的動機にあるのではなく、民族の自由に生きる権利の侵害に対する、権利回復のための戦いであり、チェチェン戦争は、一言で言うなら「民族解放戦争」であると言い切った。彼らは互いの意見の摺り合わせに明らかに努力しているのだ。

 一方、サドゥラーエフは、マスハードフが一貫してバサーエフのテロ戦術に批判的であったことを肯定し、それが単なるマスハードフ個人の意見ではなく、国家防衛評議会(GKO=MS)の共通の意見であったとし、この評価に変わりがないことを、ラジオ・リバティーのインタビューでも強調している。このインタビューは、チェチェン語で行われ、先ずチェチェン国内向けの放送で流されており、西側諸国向けのリップ・サービスとして発せられた言葉ではない。この様な発言が積み重ねられた上での新人事であり、バサーエフの第一副首相任命は驚きでもなんでもない。サドゥラーエフは、新しい人事により、バサーエフを封じ込めたのである。バサーエフが「ノルド・オスト」、「ベスラン」事件のような手法を三度とることは、第一副首相人事の受入をもって事実上困難となったのだ。

 プーチンのマスコミ抑圧の中で、ロシアのマスコミの中での新人事に対する反応は鈍い。しかしgrani.ruは、新人事について、8月26日、イヴァン・スヴェニツィツキー記者の論評を載せ、サドゥラーエフが、二人の対照的な人物、ザカーエフとバサーエフを共に副首相に起用したことは、自らが持つ手の内の広さをロシアに対して見せつけ、イチケリアに対するロシアの態度の選択をもう一度迫ったものだと評した。一方、「カフカス・センター」は、8月30日、中級野戦司令官であるイスラム大隊「ジュンドゥッラ」のアブバカル司令官のインタビューを載せ、1年前のベスラン事件について、「おぞましい事件であった。バサーエフらは過ちをベスランでは犯した。しかしチェチニアでは、毎日が「ベスラン」ではないか?そして、この戦争に第二のハサブユルト合意はあり得ない。チェチェン戦争は戦争犯罪者達の処罰無しに終わることは決してない。」という見解を示した。

 サドゥラーエフは、新人事を行う直前のチェチェン国民への呼びかけの中で次のように語った。「チェチェン戦争の行く末を決するのは、ワシントンでも、モスクワでも、ストラスブールでもない。それは、イチケリアの戦場である。」と。かつて、初代大統領ジョハル・ドゥダーエフは、「戦争は、戦争を持ってしか止めることができない。」と語っている。また8月29日に公表されたバサーエフのメッセージでは、コーカサス戦線の設置に留まらず、チェチェン軍のモスクワ戦線、沿ボルガ戦線、ウラル戦線が設置されると将来的な展望が語られた。これらの言葉を好戦的と捉えるのか、戦争の本質的側面をついたものと捉えるかには、様々な論議があるだろう。無責任国家ロシアの無責任指導者エリツィン、プーチンによってコーカサスに放たれた戦争の燃えさかる火は、コーカサス全域に飛び火した。今後、ロシア国民は無責任な政治家達に国を委ねた代価を長期にわたって払わされることになるだろう。

岡田さんのメールアドレス: kazuokada1@hotmail.com