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チェチェンニュース
Vol.02 No.04 2002.02.14

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【人権】

■チェチェン中部で「掃討作戦」が激化

チェチェンの首都グロズヌイの南方15kmほどにある、スタール・アタギ、ノヴィ・アタギの二つの村落で、大規模な掃討作戦が行われた。初期にモスクワの人権団体メモリアルから寄せられた情報によると、1月28日以降、村の農場の畜舎がフィルターラーゲリ(選別収容所)として使われ、そこに連行された男たちのうち24人以上が行方不明になった。親ロシアのチェチェン人警察官9名も同様に拘束された。警察官のうち一人が、住民登録票を紛失した少女をかばったためと伝えられている。また、現地の行政責任者も同様にロシア軍の拘束を受けた(Memorial, 2/4)。

APによると、ロシア当局はこの後、チェチェン第二の都市グデルメスに対しても掃討作戦を行い、銃器を携行した3人のレジスタンスを逮捕したと発表している。封鎖をくぐりぬけた人々をはじめとする300人の市民が、首都グロズヌイの検察官事務所の前で、作戦の即時中止を訴えた。彼らによると、村ではロシア兵による略奪、不当逮捕、女性への強姦が連続しているという。チェチェン人からなる親ロシア政権はこの報告を受けて対策委員会を設置し、調査を開始した(www.themoscowtimes.com, 2/6)。また、2月5日ごろから南東の町シャリでも掃討作戦が始まり、50人以上の人々が拘束されている。(AFP,2/6)

「掃討作戦」とは、村落に隠れているチェチェン人レジスタンスを捜し出すために、村や町を封鎖し、戸別に証明書などのチェックを行うことを指す。実際には、15歳以上の男性の大部分を拘束して、学校や畜舎のような場所に設置した臨時の収容所で尋問し、レジスタンスかどうかを選別する。連行された人々のかなりの部分が行方不明になり、場合によっては遺体となって発見されることから、人権抑圧として、外国政府、人権団体から批判されている。

チェチェンでの人権問題を担当する、ロシアのウラジミール・カラマノフ大統領補佐官は、こうした人権被害について「掃討作戦時に、ある程度のの超法規的行動は避けられない。作戦はテロリズムの撲滅のためであり、ゲリラたちは民家などに匿われているからだ」(www.themoscowtimes.com, 2/6)とコメントしている。2月12日現在、これらの村落での掃討作戦は一応終了した様子だが、ロシアのNGO、グラスノスチ財団からの通報によると、2月11日から、チェチェン・アウルなどの地区が包囲を受けはじめており、今後チェチェンでの人権状況はさらに悪化する可能性がある。

■チェチェンでの戦死者数は少なすぎる:兵士の母親委員会が指摘

1月18日付のイズベスチヤ紙によると、17日、ロシア連邦軍司令部筋の将校が、年末からのゲリラ戦によってチェチェンでは30人以上のロシア軍人が死亡したと発表した。この将校は「被害の真相を語ることは禁じられている。しかし、毎日、兵士も将校も死んでいく中で、沈黙を守ることはもはやできない」と語っている。また、「被害データを公表しないように」との命令は、セルゲイ・ヤストルゼムスキー大統領補佐官から出ていたという。

公式発表ではこれより被害ははるかに少なく、はじめの内は9人、その後は6人とされた。軍は「ヴェデノ地区における無線制御地雷の爆発によって、内務省軍の軍人2人が死亡し、3人が負傷した。ウルス・マルタン地区での同様の爆発により、軍人4人が死亡し、3人が負傷した」したとしてきた。

この将校によれば、ヴェデノとウルス・マルタンでは2縦隊が爆撃と攻撃を受けた。ヴェデノではチェチェン側は、縦隊に随行していた装甲車を地雷で爆破してからロシア軍に砲撃を加え、ロシア側はほぼ全滅した。昨日は、ウルス・マルタンで軍の縦隊が砲撃にさらされ、5人以上の兵士が死亡、重傷者も含め約20人が負傷した、という。

「ロシア兵士の母親委員会」のフェドゥローヴァさんは、「軍は、今の第2次チェチェン戦争の被害者数を意図的に少なく発表している」と語る。ロシア兵士の母親委員会のデータでは、戦死者、負傷者の数は、公式発表の2倍から2.5倍にのぼり、約6千人の兵士や将校が被害を受けているという。

その一方、連邦軍司令官のモルテンスコイ中将は「チェチェンのゲリラ基地は徹底的に爆破された」と発表している。将軍は、「ゲリラ側の管理システムは完全に機能しなくなり、山岳地帯の基地は破壊された。ゲリラの残存分子は隠れ場所を求めて彷徨している」と述べている。モルテンスコイ中将は、2001年の1年間で、アルグンだけでも連邦軍に対して91回の襲撃や砲撃がなされ、その結果24人のロシア軍人が死亡し、80人が負傷したとしている。

【チェチェンからのレポート】

■掃討作戦の中止を訴え、首都で大規模デモ/www.watchdog.cz, 2/7

ルスラン・イサーエフ/ロシア軍による大規模な掃討作戦に抗議して、ここ3日間にわたって、チェチェンの首都グロズヌイでは1000人規模のデモ行進が行われている。デモ参加者の主体は婦人で、チェチェンの親ロシア政権のビルの前で訴えが続けられている。婦人たちは口々に、掃討作戦でロシア軍に連行された人々の釈放を訴えている。

ほとんどの参加者は、反戦プラカードを持ち、こんなスローガンを書き込んでいる。「チェチェンを破壊するのをやめて!」「プーチン、息子を返せ」「軍隊、帰れ!」「和平交渉を支持します!」など。また、参加者たちは、チェチェンで起こっている状況を国際社会に伝えるために、外国の報道や人権団体への入国許可を要求した。

このデモ行進は、スタール・イタギとノヴィ・アタギ村でのロシア軍の掃討作戦が始まってからすぐに組織された。この作戦は、連邦軍のモルテンスコイ司令官に指揮されていると見られる。これらの村の住民によると、掃討作戦と同時に、金銭や貴重品の強請、略奪、200人以上の村人が「フィルターラーゲリ」へ連行され、暴行を受けるなどしている。

スタール・イタギとノヴィ・アタギ村の住民たちは、行方不明になった家族を捜しに、他の村から来た人々と合流して今回のデモを行った。行方不明者は、今回の掃討作戦のように、それぞれ自宅からロシア軍に連行されてゆき、その後何の連絡もなくなってしまった人々である。

親ロシア政権の首長であるアフメド・カディロフ行政長官は、デモの参加者たちに対して、行方不明者の捜索を約束するとともに、集会を解散してそれぞれの村に帰るように求めた。しかしチェチェン人たちは過去にも似たような約束を聞いているので、抗議行動を続けることを決めた。

ロシア政府のウラジミール・カラマノフ大統領補佐官は、テレビのインタビューのなかで、スタール・イタギとノヴィ・アタギ村の住民の要求により、今回の掃討作戦はくわしく調査されると語った。

(ルスラン・イサーエフ/チェチェン人ジャーナリスト。現在もチェチェン国内にとどまり、取材を続けている。過去の記事はwww.watchdog.czに掲載)

【政治】

■アメリカ人記者、ベレゾフスキーに単独インタビュー

「1999年のモスクワなどでの爆弾テロ事件の犯人は、チェチェン人ではなく、連邦保安局(FSB)そのものだ」と明言して、波紋を呼んでいる政商ベレゾフスキー氏に、ニューヨークタイムスのパトリック・タイラー記者がロンドンで直接インタビューした。タイラー記者はこれまでも、主としてモスクワでチェチェン問題の報道を続けている。(www.nyt.com, 2/1)

1999年に、モスクワ、ヴォルゴドンスクなどで連続して発生した爆弾テロ事件で、300人前後の人々が犠牲になった。これらの事件は一件の未遂事件を除いてすべてチェチェン人の犯行とされ、ロシア軍によるチェチェン進攻の最大の理由となった。チェチェンへの空爆と地上軍の進攻が続く一方、「チェチェンのテロリスト」への強硬姿勢が評価されたウラジーミル・プーチン首相は大統領選挙に圧勝し、FSB長官のポストには現在のパトルーシェフ氏が就いた。その間、大勢のチェチェン人が取り調べを受けたものの犯人は見つからず、裁判もうやむやに終わっている。

ベレゾフスキー氏はタイラー記者に、「プーチン大統領個人がテロに関与したことの直接の証拠はないから、プーチンとパトルーシェフ、どちらが命令を下したかはわからない。だが、パトルーシェフとFSBがこのテロを実行したことは、近いうちに証明できる」と答えている。

最近FSBのパトルーシェフ長官が「ベレゾフスキーはチェチェンのテロリストに資金援助をしている」と発表したことについては、「私の疑惑に対する証拠は、オサマ・ビン・ラディンが同時多発テロの首謀者だという証拠より少ないくらいだ。確かに、私がエリツィン大統領(当時)の安全保障顧問だった頃、チェチェンの首相だったシャミーリ・バサーエフを通して、1997年から99年にかけて、援助をしたことはある」と答えた。

この援助金はベレゾフスキー氏のポケットマネーであり、チェチェンのセメント工場の再建のために渡されたという。また、同氏によると誘拐されたロシア人を取り戻すための交渉も手がけ、64人を解放した。この時に支払ったとされる身代金もまた、当局の非難の対象になっている。

ベレゾフスキー氏にはすでにロシア政府から身柄拘束令状が発行されているが、今回のような暴露を通じてプーチン大統領の政治的基盤をゆさぶることで、逆に有利な立場に立つことができる。プーチン大統領とその側近はロシアを救う「強いリーダー」なのか、あるいは権力を掌握するために、罪のない300人のロシア人を殺した犯罪者なのか。

同じインタビューの中で、ベレゾフスキー氏は現在の状況についてこう答えている。「ロシア政府が私を暗殺しようとしているとは思いたくないが、可能性は排除できない。私は今、チェチェンのマスハドフ大統領ともコンタクトを取っている。彼は戦闘によって負傷して、今はあるところで入院している。私は彼の治療のための援助をしているが、こんなものまで利敵行為と呼ぶなら、なんとでも呼べばいい」

タイラー記者のインタビューに描かれるベレゾフスキーは多面的な人物である。もとはエリツィン時代に羽振りを利かせた政商であり、第一次チェチェン戦争と現在の第二次戦争の間はチェチェンでも最強硬派のバサーエフ野戦司令官(元首相)を通じて復興支援をした。現在は国を追われ、自分を守る最後の盾としてプーチン大統領とロシア政府の「巨悪」を攻撃している。まだ明かされていない証拠こそ、彼が母国と取り引きできる最後のカードなのかも知れない。

「私の目的は真相究明だ」と、インタビューの中でベレゾフスキー氏は語り、一通の手紙を示した。送り主はエレーナ・モロゾフさん。モスクワの爆破事件で犠牲となった女性の娘である。<どうか、わたしたちのお母さんを殺した犯人を見つけてください>。ベレゾフスキー氏は最後にこう言った。「今まで、誰もこの手紙に答えていないのだ」

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