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チェチェンニュース
Vol.02 No.12 2002.06.15

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■チェチェン報道をどう読むか?/メスケル・ユルト村の惨事をめぐって

親ロシア派チェチェン共和国行政府のウェブサイトに「チェチェン共和国情報チャンネル」というものがある(http://kavkaz.strana.ru/)。

内容的に見ると、ロシア政府系のインターネット通信社、strana.ruが運営しているものと推測される。明らかにディスインフォメーションと思われるものが、数多く流されているが、かなり数多くの情報が連日掲載されるので、チェチェン情勢をウォッチしている者にとっては、無視する訳にはいかないと思う。チェチェンニュース前号はロシア連邦軍の撤退直前まで情報を、主にロシアの人権擁護運動系のサイトからまとめているが、ロシア当局側は次のような発表を行っていた。

<特別作戦により、隠匿武器発見(2002.06.04.のstrana.ru)>

http://kavkaz.strana.ru/print/146453.html『連邦軍のメスケル・ユルト村での特別作戦において、8人の武装勢力が殺され、26の武器隠し庫が摘発された。北コーカサス対テロ作戦地域司令部でstrana.ru特派員が得た情報による。

司令部代表イリヤ・シュバルキンによると、この村の隠し武器庫からは、自動拳銃11丁、自動拳銃用弾倉62個、拳銃6丁、カラシニコフ銃14丁、対戦車ロケットランチャー2丁、82mm口径迫撃砲、手榴弾260個、携帯式手榴弾発射機8基、据置き型手榴弾発射機2基、手榴弾発射機用薬莢566個、弾丸22個、地雷120個、電気式信管305個、様々な口径の弾倉8万3千個、8.5kgの爆薬を摘発し、14個の地雷と手製の起爆装置を無害化した。同司令部によれば、村には、25人ほどの武装勢力が潜んでいる可能性があるとしている。これまでに連邦軍側は、3日までに武装勢力8人を殲滅、その内には、非合法武装勢力の参加者で10件以上の重犯罪事件の参加者である、モフサル・サラモフが含まれていた』

●筆者コメント

連邦軍側の中間発表であるが、真否は定かでない。独立派は、この村が独立派の軍事拠点であったことを否定している。この発表をもって連邦軍側の住民に対する暴行を免罪できるものではない。逆に後日、ラジオ・リバティーが報じた「メスケル・ユルトで激戦があった」とする報道と並んで、連邦軍側の行動を正当化するためのディスインフォメーションとも考えられる。しかし、掃討作戦が3週間にも及んだことには、一定の根拠があったと考えられる。

多くのチェチェンの村では、たとえ武装勢力に参加していなくても、多くの住民は心情的には独立派を支持しており、ロシア側のいう非合法武装勢力あるいは、匪賊の家族であり、親族たちなのだ。ここで、ロシア連邦軍が、村民に対して行った特別作戦の実態を、軍撤退後直ちに村に入ったロシア人権擁護センター「メモリアル」の調査を元に、独立派の国営通信社チェチェンプレスは、概略次のように報じている。

<大ロシア主義は、ファシズムよりも酷い(要約)>

http://www.chechenpress.com/news/06_2002/7_13_06.shtml『5月21日から6月11日までメスケル・ユルト村で行われた連邦軍の特別作戦いわゆる「掃討作戦」は、モルテンスコイ将軍の命令第80号(特別作戦時の人権遵守規定)を守ってほしいという村行政の要請を完全に無視して行われた。軍側は、「モルテンスコイは命令などしていない。われわれは大統領の指令で動いているのだ」と言い放った。

略奪を伴った家宅捜索は全戸に及び、全ての拘束者が酷い拷問を受けた。村人を守ろうとした村長も激しく殴打され、村役場は建物を爆破された。

初期の段階で30歳以下の男性8人が殺された。7名までが氏名が特定されているが1名は氏名不詳。その後、拘束された者の内10名が消息不明となった。その後更に10名が消息不明となったが、更に10名が消息を絶った。これらの人々は、6月9日までは、フィルター(尋問/選別)にかけられたが、生還した者の証言では存命しており、連邦軍が村外に連行したものと思われる。

軍撤退後、村民たちは村外れ、ソツィン・ユルト村とを結ぶ道路沿いに設けられた臨時のフィルター施設の跡に赴き、メモリアルのスタッフとともに、連行され犠牲となった人々の遺体を発掘した。村人ガチャーエフは、そこでバラバラにされた死体が連行され消息を絶った自分の兄弟アダムの一部であると確認した。

同じ場所には住民から取り上げた2台の乗用車と2台のトラックが、重要部品を取り外した上で放火されていた。住民の証言によれば、取り上げられたトラックはもう1台あり、それは軍人たちが略奪していった。

村人の証言によれば、21日間に成人男性は全てが選別施設で尋問された。多くの者が惨たらしい拷問を受けた。村人、フセイン・バルザエフは、背中をガラス片で斬りつけられた上、傷口に塩を擦り込まれ、その後、ベンジンをふりかけられて火を放たれた。酷い火傷を負った本人は重態で自宅に伏せっている。他の3名は、ペンチで前歯をへし折られた。

別の家では男の3兄弟を拘束されたが、尋問にあたって、他の兄弟の眼前で、軍人たちは、被疑者の耳を削ぎ落とし、両目を抉り出した末、両手両足の指を切断して見せ、最後に彼に爆薬を仕掛けて、バラバラに爆破して見せた。軍人たちは二人の兄弟にも手ひどい拷問を加えたが、二人は一応放免された。村人の証言では、彼らは重態のため、村を視察に来た連邦議会代議員、アスランベク・アスラハノフ氏が村外へ治療に送り出したという。

軍人たちは、男性だけでなく女性にも暴行を加え、中には二日間にわたって拘束され、陵辱された末、激しく殴打された者が出た。若い娘をさらっていこうとする軍人もいた。若い女性二人がさらわれ、辛くも逃げ出した後、村人たちは若い娘をさらわれないよう、隠し始めた。

撤退を前に、連邦軍は「身代金」として、若者には1500ルーブリ、中老年男性には1000ルーブリを要求し、これを取り立てた』

別の論評記事によると、<ロシア軍---高度に武装したフーリガン>

http://www.chechenpress.com/news/06_2002/8_10_06.shtml『折からモスクワの中心部では、ワールドカップ、ロシア・日本戦の後、荒れ狂ったフーリガンどもが、暴れまくり警察車両や報道取材車を含む70台以上の車両が破壊され、焼き討ちされ、ロシア議会や、円柱の間のある連邦会館の窓ガラスや、モスクワホテルなどの商店街の大ショーウィンドーのガラスが無惨に壊された。チェチェンプレスは、チェチェン駐留連邦軍をして「高度に武装したフーリガン」と評した。そして、ロシアの多くの市民に、何故、チェチェン人がロシアからの分離・独立を欲しているのかを理解してほしいと訴えかけた』(訳・構成 渡辺千明/本紙コントリビューター)

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