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チェチェンニュース
Vol.02 No.20 2002.07.26

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■第二のチェチェンを求めて−−−北コーカサスに拡散する暗い戦い

●独立派の大胆な譲歩と自信

先週も、チェチェンでは激しい戦闘が続いた。チェチェン独立派は、ロシア連邦軍と、チェチェンOMON(民警特別部隊)を相手に、チェチェンのほとんどの地区で小規模な戦闘を挑み、ロシア軍にかなりの出血を強いるゲリラ戦を続けている。その中でも首都グロズヌイ(独立派は初代ドゥダエフ大統領にちなみジョハルと呼ぶ)と東方のヴェデノでは、とりわけ激しい戦闘が続いている。

その裏で、戦争終結を目指す動きも活発化してきた。

モスクワのプーチン政権は、独立派の、7月15日を期した停戦の呼びかけを無視したが、国民の過半数が世論調査で「独立派との交渉による戦争終結」という選択肢を支持するに至ったロシアでは、これまでのごく少数の自覚した人々の反戦運動という時期が過ぎようとしている。

そして、世論の動向を敏感に掴んだ、実際にロシアの政治に携わった政治家たちの、さまざまな戦争終結策の提唱、相互の意見交換が活発となった。アメリカのブレジンスキー提案、ルイブキン氏の対プーチン提言に続き、チェチェン人の政治家ハスブラートフ氏は、マスハードフ大統領とのかなり突っ込んだロシア=チェチェン関係像の一部を明らかにした。

チェチェンをロシアの版図に置きつつも、国際的な保証のもとに自治を行う「国際自治」という概念が、はじめて広範に伝えられたのである。この経過で明らかになってきたのは、マスハドフ大統領の独立派内部での権威の増大が、従来の政敵であった人々−前大統領ヤンダルビエフ、バサエフ野戦司令官らとの団結の強化の中で、ロシアとの大胆な妥協も可能になりつつあることだ。

●虚構の中のチェチェン戦争

プーチン政権は、アパート爆破事件をきっかけとした進攻や、「対テロ戦争」への合流など、虚構の中でチェチェン戦争を展開してきた。大規模戦闘と兵器の大量消費が、ロシア社会の平時型体制の中で続けられたことで、大きな歪みが生じている。それが限界に近づく中で、従来型の戦争の継続は困難となり、更なる虚構が産みだされた。

それは、チェチェンでの安定が確保されていないのに、現地政権への権力の委譲と称して政策転換を図ることである。これはソ連がアフガニスタン戦争から手を引く際にも使われた。しかしチェチェン戦争で味を占めた軍部は、そう簡単に北コーカサスで手に入れた利権を手放そうとはしないだろう。彼らには第二のチェチェンが必要なのだ。

ハスブラートフのような、本来連邦派である政治家が、マスハドフとの妥協で戦火を収めるべきと主張するポイントは、第二のチェチェンを作らせないという決意にあるのではないか? 今、注目の的になっているのはチェチェンの両隣、ダゲスタンでもイングーシでもない。カバルディノ・バルカリアである。

ソ連崩壊から10年以上がたち、本来なら新しい民主的国家が経済建設が進められているべきでなのだが、実際には軍部や、一部の独占産業に富が不正に奪われて、不満は北コーカサス全域に蓄積されている。

●北コーカサスに充満する危険

一部のイスラム原理主義者は、義勇兵としてチェチェン戦争に従軍し、戦闘経験を蓄積し、鬱屈した若者たちを引きつけている。そこには、グルジアのパンキシ渓谷から移動を余儀なくされたゲラーエフ部隊の到着を待ちわび、合流を待望する動きがあるという。ハスブラートフが懸念したような、「ロシアはチェチェンのみならず、北コーカサス全域を失うかも知れない」という悪夢が、現実のものとして近づきつつある。

さまざまな要素が時間との競争の様相を呈してきた。無駄な殺戮を一刻も早く止めさせるという、平和への競争。その一方で軍部も出口を模索している。チェチェンの親ロシア政権は、イニシアチブを発揮できなければ、最期には交渉の当事者とは見なされず雲散霧消した、第1次チェチェン戦争時のザフガエフ傀儡政権の二の舞いとなる。これらの動向を注意深く見ていこう。

7月17日のカフカスセンターは、独立派の放送局「ラジオ・カフカス」で放送された、カバルディノ・バルカリアのジャマート(イスラム武装組織)「ヤルムーク」の司令官、セイフッラへのインタビューを掲載した。ロシア当局はしばしば「国際テロリズムとの戦い」と称して、ハッターブやワリドのようなアラブ諸国からの義勇兵が大量にチェチェンに流入しているという情報を流すが、北コーカサスのイスラム系山岳諸民族の参戦については、ダゲスタンの一部情報以外は沈黙してきた。

●抵抗の風土

実際にはここ10年にわたるチェチェン戦争が、周辺諸国にも大きな影響を与えている。この際、北コーカサスの国々についてまとめておこう。黒海の方から、アデゲイ、カラチャイ・チェルケシア、カバルディノ・バルカリア、北オセチア、イングーシ、チェチェン、さらに東にダゲスタン−これらの国々は、言語や基幹民族の出自が様々に違うが、共通性として、オスマントルコに臣従した時代にイスラム教を受容しており、武勇や礼節を尊ぶ精神風土を持ち、帝政ロシアの侵略と長期にわたる抵抗を続けた伝統がある。

地図(英語/日本語):

http://www.ichkeria.org/english/maps/

http://groups.msn.com/ChechenWatch/page11.msnw?albumlist=2

現代史の中では、ソビエト政権初期に、山岳民共和国を形成し、またスターリン時代にはシベリア・中央アジアへの民族が丸ごと強制移住されるという責め苦を共有している。ソビエト政権は強制移住と共に移民政策を推進し、イスラム系の基幹民族の住むこの地に、宗教的にはキリスト教系のスラブ系移民を始め、ユダヤ人や、高麗人など、ロシア語を母語とする人々を大量に送り込んできた。

カバルディノ・バルカリアの現人口90万の半分は、ロシア語を母語とする人々である。1944年のスターリンによる強制移住の結果、バルカル人は人口のおよそ1/3を失った。現在に至るもその打撃は大きく、バルカル人は、強制移住の対象とならなかったカバルディン人に較べて劣位に置かれている。カバルディノ・バルカリアのイスラム武装勢力は、他のコーカサス地域の武装組織と同様に、チェチェン戦争に刺激されて誕生し、チェチェンに義勇兵を送り込み、ここで経験を積んで成長してきた。第一次チェチェン戦争に参戦し、戦死したラスール・カゲルマゾフのような人物が、カバルディノ・バルカリアの若者に大きな影響を与えた。

●政策転換の必要性

1998年には、アンゾル・アタバエフらカバルディノ・バルカリアのイスラム武装勢力は自分たちの訓練施設を持つに至ったが、これがロシア当局の知るところとなり、6人の戦士が2000人規模の治安部隊に包囲され、9時間に及ぶ激戦の結果、負傷したひとりを残して戦死を遂げた。治安部隊は27人の戦死者を出したが、相手が6人だったとは言えず、150人の敵と戦ったと言いふらしたという。こうした自国内の戦いとチェチェン戦争での実戦が、イスラム武装勢力を育て、いまや数千人規模の参加者を得ている。

このような武装勢力への参加者を生み出す一番の理由は、ロシア社会の大きな歪みである。豊かな資源は一部の「財閥」等に寡占され、犠牲となった地方は社会混乱のつけを払わされるだけで、貧困への自由のみを享受させられている。

その中で多くの若者は失業状態にいて、鬱屈を発散できる場は武装闘争の場なのである。こうした状況は、北コーカサス全域に多かれ少なかれ見られ、何もカバルディノ・バルカリアが突出しているということでもない。唯一の解決策は、ロシアが侵略的なコーカサス政策を改め、真にこの地域を平和で豊かな地域とすることにある。

本来、コーカサスは素晴らしい土地なのだ。風光は明美、万年雪をいただく山山からの雪解け水に恵まれた肥沃な大地、スパイシーな野菜と甘美な果物、そして芳醇なワイン。人情味あふれる人々。豊富な地下資源。血塗られた植民地主義のくびきから人々が脱するのはいつのことなのだろうか?(渡辺千明/本紙コントリビューター)

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