チェチェン総合情報


チェチェンニュース Vol.03 No.36 2003.10.13

発行部数:992部

■チェチェン「大統領選挙」の諸相

(2003.10.13 大富亮/チェチェンニュース)

●疑問の多い選挙

10月5日、チェチェンでは、ロシアの傀儡政権による大統領選挙が行われた。 この選挙は、今年3月にロシア側によって採択された、「チェチェン共和国憲 法」と「大統領選挙法」に基づくものだった。これまでの経過からして、きわ めて疑問の多い選挙だったが、モスクワの後押しを受けたアフメドハッジ・カ ディロフ氏が、「81%の得票」で大統領に「当選」したと、各紙が報道した。 今回は報道内容の比較を含んでいるので、(メルマガなのにかなりの!)長文 記事になった。特に比較に興味のない方は、後半の「●見落とされがちな 問題」以降を読めば、大体の事情は理解していただけると思う。

●各紙の論調

まず、10月4日から10日までの全国紙の紙面をもとに、チェチェン報道の 時評をしてみたい。

【読売】<露の傀儡か独自路線か>/7日

10月6日から7日にかけて、記事3本。ロシアの人権団体「ヘルシンキグルー プ」のルクシナ事務局長からインタビューを取った。

ルクシナ氏は、この選挙が認められない理由として、「1、(チェチェンの) 社会が軍部に統制される戦争状態が続いている。2、分離・独立要求派からの 立候補が認められなかった。3、カディロフ氏の有力対立候補3人が、連邦政 府により選挙戦から外された」と語っている。

記者の展望としては、カディロフが過去に独立派の一員であったことなどから、 今後ロシア政府の指示に従わないようになるかもしれないと観測している。人 権問題と過去の経緯を踏まえ、比較的広い視野で選挙を捉えた。

【朝日】<厳戒態勢の大統領選を見る/チェチェン銃声下の投票>/10日

5日から10日にかけて、記事の本数は4本。 記者が投票当日にグロズヌイ入りし、ロシア軍特殊部隊の警護のもと取材した。 グロズヌイ空港近くの投票所に到着したさい、チェチェンゲリラによると思わ れる銃撃に遭遇したという。その日のグロズヌイの市内にはほとんど住民の姿 は見られなかった。また、選挙は全体としてロシア側の演出によるものであり、 カドイロフ氏の後ろ盾にロシアのプーチン政権がついているものの、民意と距 離があると結んでいる。

【毎日】<モスクワの回し者―低いカディロフ氏の評価>/9日

10月4日から9日にかけて、最多の5本。 記者はチェチェン入りせず、2次情報をもとに短い記事を流したが、9日には、 現地に詳しいセルゲイ・アルチュノフ博士(アルメニア人、ロシア科学アカデミー、ミクロホ・マクライ記念民族学・人類学研究所カフカス研究部長) にインタビューし、現地情勢についての突っ込んだ議論を展開した。博士によ ると、

「ソ連時代にあった典型的な粉飾選挙だ。カディロフ氏の得票率80%以上は 絶対にありえない。これまでの調査で、チェチェン住民のカディロフ氏への支 持率は15%を超えたことがなかった。公正だったとは思えない。・・・皆、 彼を「モスクワからの回し者」と考えているからだ。

・・18世紀末に併合を目指したロシア軍との戦闘で倒れたチェチェン人の歴 史を彼らは決して忘れない。しかも現在、ロシア軍に再び親、兄弟、親類が殺 傷される事態が続く中、和解は容易ではない。・・・住民の大半は、『チェチェ ン独立』か『高度の自治』か『イスラム(共和国)』のいずれかに傾いている。

・・・今後のテロの牙はカディロフの私兵に向けられる。つまり、チェチェン 人同士が殺しあうように仕向けられているのだ」

現地からの報道こそできなかったものの、モスクワでの工夫で、歴史的なパー スペクティブを読者に提供した。

【産経】<露大統領、2選挙で圧勝画策/政権基盤強化へ批判無視>/4日

4日から7日まで、3本。選挙直前に充実した記事を掲載した。 「来春の大統領選挙で再選を目指すプーチン氏は、なりふり構わぬ選挙戦を展 開し、必勝態勢で臨む。・・・欧米諸国は要員の安全確保が困難との理由で選 挙監視団派遣を見送った。クレムリンがそれでも選挙を強行するのは、同選挙 で勝利を収め、チェチェン和平を形だけでも進展させることが『チェチェン問 題の解決』を最重要課題の一つに掲げる大統領の再選戦略に何よりも必要だか らだ」とした上で、チェチェンと、サンクトペテルブルグ知事選における、 プーチン政権の露骨な介入の共通点を指摘した。

【東京】<和平の道険しく、チェチェン大統領にカディロフ氏>/7日

4日から7日まで、5本を掲載して毎日新聞と並んだ。 投票結果を示した上で、これまでの経過とカディロフ氏についての人物情報を 充実させた。記事によれば、もともとカディロフはチェチェン民族の強制移住 先のカザフスタンで1951年に生まれた。第一次チェチェン戦争(94年− 96年)の際には、当時の独立派のドゥダーエフの部下だったのだが、第二次 戦争ではモスクワ側に寝返り、傀儡政権のトップに座った。現在は私兵多数を 擁して人権侵害に荷担している。

「来年3月に大統領選を控えるプーチン大統領は政権基盤強化に向け、チェチェ ン正常化は至上命令。今春の住民投票で共和国憲法を制定、カディロフ氏の大 統領就任で紛争終結を目指している。・・・法律上の形を整え来春のロシア大 統領選さえ乗り切れば−とのクレムリンの危うい目論見も見え隠れし、正常化 への道はまだまだ遠い」

●見落とされがちな問題

今回の各紙の報道はかなり充実し、チェチェンへの関心が読者の間にも徐々に 高まってきたことを感じさせる。また、各紙とも、この選挙でロシアのプーチ ン政権が露骨に介入していることを指摘し、この選挙で傀儡政権が誕生したこ とをうかがわせた。なお記事で「傀儡」という表現を使用したのは、朝日と読 売の二紙。

五紙に共通する問題点の一つは、3月23日に行われた、あやしげな国民投票 の問題点を、まったく指摘していないことだ。この国民投票によって、新しい チェチェン憲法と大統領選挙法を採択したと、ロシア側は主張している。しか し、現地で監視した国際NGO、世界の医療団(MDM)の報告によれば、ほとんど のチェチェン人は参加せず、二重投票が横行し、官製投票もい いところだった。

世界の医療団(MDM)によるリリース:
http://www.medecinsdumonde.org/japan/Communiq/communiqp10.htm

したがって、「国民投票」という嘘の上に「大統領選挙」というもう一つの嘘 を重ねたのが今回の選挙だった。報道を見る限り、この2段重ねの嘘のうち、 「国民投票」からカッコは外れ、当然の前提になっている。今月15日までに は、この反民主的な選挙結果によって、カディロフ氏が大統領に就任する手は ずになっている。この次には、「大統領選挙」からもカッコが外され、まるで チェチェンでは何も問題なく選挙が行われたように扱われることは、容易に類 推できる。

本当に何の問題もない選挙だったのだろうか。東京、朝日、読売がグロズヌイ から報道したにもかかわらず、投票したチェチェン人の意見が載るだけで、 「投票に参加しなかった」住民の声は、どの紙面にもなかった。親ロシア政権 の発表でさえ、選挙民の10%以上が投票していないのに、なぜ彼らの意見は 伝わらないのか。おそらく、10日に朝日が伝えたとおり、様々な理由をつけ られて、「市内での自由な取材は認められなかった」のだろう。

投票に参加しなかった人々への取材は、事実上禁止されていた。あるいは、そ の人々が公然と意見を口にできる状況ではなかった。いずれにしても、この選 挙が異常だったことは、この一事だけでも明らかである。「言論と報道の自由 はなく、民主的な選挙とは言えなかった」と結論付けることはできるのに、ど うしてそう書かないのか。

これは考えすぎで、各社とも、棄権者にも取材はしたのかも知れない。そうと すれば、紙面にいっさい反映されていないのは、奇異に感じられる。この極め て疑問の多い選挙を検証するのに、投票所に足を運んだ人々の意見だけを掲載 するのは、客観性に欠けるからだ。

なお、共同通信と時事通信は、記事の一部が入手できなかったので今回の比較 からは外し、テレビも、一部しかカバーできていないので、割愛した。

●ロシア側NGOの報告

ロシアのいくつかの人権団体は、公式な選挙監視をとりやめたのち、非公式な モニター要員をゲリラ的に送り込む戦術をとった。各団体は報告を取りまとめ ている最中のようだが、モスクワタイムスなどに掲載された断片によると:

チェチェン・ロシア友好協会のイムラン・エズィエフ代表はこう語った。「わ れわれの監視員の一人は、シャリ地区のある投票所で、束になった投票用紙が 投票箱に放り込まれるのを目の前で見た」エズヒエフは、似たような二重投票 をクルチャロイ地区の投票所でも見たという。

モスクワ「ヘルシンキグループ」のプログラムコーディネーターのセルゲイ・ シモヴォロスが、シャリ地区で見たこと。「ひとつの投票所が閉じられると、 選管が投票箱を区長室に持っていき、区長が部屋の中から鍵をかけていた。こ れは法律違反じゃないか?」

対立候補者のシャミール・ブライエフが放った監視員のアユブ・アルサヌカエ フによると、選挙人名簿にない者の投票も目立った。「どこか知らないところ から人がやってきて、まったく違う地域で登録されたパスポートを見せて投票 所に入ってくる。そして投票していたんだ」と話している。

「われわれの見る限り、共和国中どこの投票所でも、同時に、3人以上の投票 者を見ることはなかった」とヘルシンキグループは言う。「グロズヌイでは、 投票所で30分ほど様子を見たが、その間に来た投票者はわずか5人だった」 だが投票所の係員たちも負けていない。「あと2時間も早くくれば、大混雑だっ たんだ」と、監視員たちにまぜっかえした。

チェチェン大統領選は欺瞞/活動家たちが証言:
http://www.themoscowtimes.com/stories/2003/10/08/011.html

●日本人としての怒り

「プーチン政権がチェチェンの選挙に介入した」という見方は正しくない。選 挙そのものが、プーチン政権の介入の一手段だった。

今回の大統領選挙を、日本でチェチェン問題を憂慮する数百人の人々が疑問に 感じた。筆者自身も、そのひとりだ。地球の反対側にあるチェチェンの問題に、 なぜこうして疑問を持ち、怒るのか。それは、チェチェンの人々が自ら選んで きたあり方を、プーチン政権とチェチェンの親ロシア政権が、怪しげな方法に よって覆そうとしたことが明白だからだ。

チェチェンには、92年にチェチェン人たちによって採択され、改正を重ねて きた憲法がある。96年以来、ロシア政府はこの憲法をかかげたチェチェン共 和国と交渉し、条約を結んできた。この憲法のもとに行われた97年の大統領 選挙の結果は、国際機関の選挙監視と結果の承認を通して、全世界が認めた。 つまりこの憲法は、チェチェン人たちが維持してきただけでなく、ロシア政府 も容認してきたのだ。

にもかかわらず、ロシア側は、この3月に奇妙な憲法案を国民投票にかけた。 92年憲法の改正の要件には、「チェチェン共和国議会議員総数の三分の二以 上が賛成票を投じた決定により採択し、また改正する(第115条 )」とあり、 国民投票による「新憲法」の採択は、92年憲法に対する整合性がない。これ を実行し、結果を作り上げ、大統領選挙に持ち込んだこと自体、カディロフ政 権と、ロシアのプーチン政権の対チェチェン政策の違法性を明らかにしている。 私たちの日本国憲法でさえ、大日本帝国憲法を改正したものだということを、 忘れるべきではない。

チェチェン共和国憲法(92年制定、仮訳):
http://www9.ocn.ne.jp/~kafkas/archives/constitution-ichkeria.htm

これより先、きちんと定義づけなければならないことが、あると思う。

アスラン・マスハドフこそ、97年に民主的に選挙された大統領であり、今も チェチェンを代表している。その4年の任期はすでに経過したとはいえ、チェ チェン議会の議決によって解職されない限り、任期は継続している。現在は戦 時中で、議会からは反対の出ようはない。ルスラン・アリハジエフ議長が2000 年にロシア連邦保安局によって誘拐され、今も行方不明となっている事実は、 ロシアの政策の犯罪性を物語っている。

そのマスハドフは、99年の第二次戦争が始まった当初から、ロシア政府に対 して、継続して和平交渉を申し出ている。チェチェン独立という前提条件も取 り払ったままに、である。第三国や、国際機関を調停に動かすために、モスク ワ、ヨーロッパ、南カフカス、アメリカにそれぞれ特使を放っている。このイ ニシアチブを無視して傀儡を擁立しているのが、プーチン政権だ。平和を拒否 しているのはチェチェンではなく、ロシア側である。

この事実がまず報道されないにもかかわらず、今回の選挙報道の中では、逆に マスハドフの「住民投票も選挙も認めない、われわれの闘争にも影響はない」 (東京/7日)といった、強硬な発言だけがクローズアップされた。この伝え 方は、今後の不安定要因を指摘してはいるけれど、この戦争全体をいびつに伝 えていると評価せざるを得ない。朝日、毎日も同様に引用した。

今年に入ってからの経過で判明したことは、ごくあたりまえのことにすぎない。 チェチェンの将来は、チェチェンの住民自身が決めることである。しかし、そ のための機会をロシア政府は奪いつづけ、自らに都合のよい代用物で埋め合 わせている。これを体現しているアフメドハッジ・カディロフを、「大統領」 と呼ぶのは、適切ではないだろう。

戦争は、和平交渉によってしか終わらない。日本にいて私たちにできることの ひとつは、ロシア政府とチェチェンの代表者との和平交渉への支持を表明する ことだと思う。そして、どちら側からであれ、別の暴力的な選択肢が進められ ようとした場合には、批判的に評価し、討論し、小さな決議を発信しつづける べきだ。近い将来にそれができれば、私たちは、チェチェン情勢の好転に関与 することができるだろう。