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チェチェンニュース Vol.04 No.31 2004.09.14 発行部数:1527部

■イングーシ共和国前大統領・ルスラン・アウシェフへのインタビュー
ノーヴァヤ・ガゼータ紙第65号2004.09.06

●記事について:

チェチェンの隣国・イングーシ共和国は、わずか30万の 人口しかないにもかかわらず、一時期は20万人以上のチェチェン難民を受 け入れ、必死の国家運営を続けていた。そのときの指導者が、ルスラン・ア ウシェフ前大統領だ。9月1日にイングーシの隣にある北オセチア共和国の ベスランで学校占拠事件が発生したとき、アウシェフは現場にかけつけて犯 行グループとの交渉をし、15人の乳飲み子を含む26人の人質を解放させ た。ロシアのノーヴァヤ・ガゼータ紙のドミトリー・ムラートフ編集長に よるインタビュー。

 誠実な人柄で知られるアウシェフは、自分の答えられる、最大限の発言を しているのだと思って読んでほしい。このインタビューが公表されて以来、 ロシアのマスコミでは彼に対するバッシングが始まっている。「彼がすべて の真実を語ったら確実に殺される。彼はそのことを十分知りつつ、この発言 をしている」とは、ある情報通の分析である。この13日、プーチン大統領 は地方知事の任命制(選挙の廃止)、下院選の完全な比例代表制への移行を 始めとする、中央集権体制の導入に向けた案を発表した。ロシアの民主化は 終焉を迎えようとしている。(大富亮/チェチェンニュース)


ノーヴァヤ・ガゼータ(以下NV):聞こえますか? 9月3日の、17:00ごろに交渉が行われるはずだったと言うことは本当ですか? テロリストに対して、子どもたちを解放しろと言うマスハードフ(チェチェン共和国大統領、独立派)の伝言を持って行こうとしていたというのは本当ですか? 

アウシェフ:時間的にはその通りだ。昼までは全て正常だった。死体を回収 に行かせた。21名の死体が横たわっていたから。グツェリーエフ(現地本 部の要員?)が彼らと(テロリストたちと)話しあった。車に医 師を乗せて5人で行くことに合意したんだ。その時に、向こうの建物の中で 爆発音がした。女性が飛び出してきて、誰かが、何かに引っかかったと叫ん だ。紐だか、電線だか、そんなものに戦闘員の一人が引っかかって、爆発が 起こったんだ。われわれの方も何が起こっているのか、確かめようとした。 そしたら、射撃が始まった。次々といろんなことがね。

NV:射撃というのは校内からですか?

 いや、校内で起こったのは爆発だ。そして子どもたちが飛びだしてきた。 それより前に私が校内に入って、見たときには、体育館内は女性と子どもが すし詰め状態だった。爆発が起こって、人々が出口に殺到して、その後は大 混乱だ。

 われわれは射撃を止めさせようと思った。で、電話をした。彼らはこう 言った。「こっちは撃つのをやめた。撃っているのは、そっちだ」と。こち らも「一切撃つな、射撃止めろ」と命令を出した。ところが、馬鹿なことに 軍でも犯行グループでもない、「第3勢力」がいたのだ。そんな連中が、一 体なぜあそこにいたのか、それは今、調べているところだが、自動小銃など を手にした「自警団」の様な連中が、自分たちで人質を解放しようとした。 そして彼らが学校に向かって撃ったのだ。ということで、公式な部隊は撃た なかったし、占拠者も撃たなかった。

 われわれは互いに怒鳴りあっていた。「誰が撃っているんだ?」学校の中 にいる連中は「もうダメだ、ならば自爆だ」で、自爆した。彼らは突入と解 釈したのだ。自爆があって初めて、こちら側でも突入命令が出た。

NV:あなたの計画では、どういう展開を考えていたのですか?

 われわれはアスラハーノフの到着を待っていた。私はアスラハーノフと一 緒に校内に入ろうと思っていた。マスハードフの声明を持ってね。

NV:マスハードフはあなたに自分の声明を託したのですか?

 いや、われわれはインターネットに載ったものを出力した。とてもよい声 明だったから。「われわれは子どもを戦いに巻き込んではならない」とか ね。チェチェンの戦士たちは独立のために戦っているのであって、女子ども をそれに巻き込むことはない。アスラハーノフがこっちに飛んで来る間、ロ ンドンのザカーエフ(文化相、独立派)を掴まえることができた。「アフ メード、あんた、できることなら人々の解放を助けてくれないか?」「もち ろんだ」「そしたら政治交渉は受けて欲しい」彼らは相談して、マスハード フの声明が出たんだ。その声明を私は、占拠者たちに手渡そうと思った。

 この声明を私は読んで、彼らに声明を見せようと思ったんだ。というのも 彼らと話し合ったとき、聞いたんだ。「誰と交渉しろと言うんだ?」彼らは 「マスハードフとだ」と。だから私は彼らに、「当のマスハードフは、こう 言っているんだぞ」と見せておいて、「さあ、どうなんだ早く子どもたちを 解放しなさい!」と迫ろうと思っていた。

 でもアスラハーノフが着いた時には全てが終わっていた。(編集者注:ア スラハーノフは、いったんモスクワに寄ってから、現地入りした)そして思 惑では、彼らにプーチン大統領宛の手紙を出させようと思っていた。

NV:彼らは手紙を手渡していたのですか、ルスラン・スルターノビッチ?

 私個人にはね。

NV:手紙には、特別な要求でもありましたか?

 いや、相変わらずの、ブジョンノフスク*の時みたいな。軍隊の撤退。 チェチェンの独立国家共同体諸国による管理などなど。それで、こちらも状 況の軟化を狙って、「あんたたちの手紙はロシア連邦大統領に必ず届けられ るから」と。とにかくこんがらかったものを解く努力がいるんだよ。一番大 切なことは本当にそうなんだが、われわれは子どもたちを救いたいと思って いたんだ。「他の宿題は後から家でやれるから」と。 (*南ロシア、ブジョンノフスクの病院を、チェチェンゲリラが制圧して約 千人の人質をとる。ロシア軍は4日目に攻撃するが失敗、交渉の末、人質120 人とゲリラをバスに載せ、チェチェンに移動後、人質全員が釈放された)

NV:まったくそうですね。

 彼らの方だって、校内に持ち込んでる自分たちの電話番号を教えて、ロシ ア連邦の大臣クラスの高官が誰でも電話をかけて来られるようにしていたん だ。それを誰だか判らん民間人連中の銃撃がふいにしてしまったんだ。とに かく「突入の準備はできていた」などと言うのは嘘っぱちだ。誰も突入なん て考えてもいなかった。私はその場にいて準備がないのを見ていた。全部が 水泡に帰してからだよ、軍人たちが動き出したのは。彼らは私に電話で叫ん でいた。「突入してくるじゃないか!」、われわれは答えた「いや、突入は ない。アルファ部隊の連中は、まだこっちで待機中だ。」彼らは「われわれ に向かって撃ってくる。われわれに向かって突入してくる。もうわれわれは 自爆だ!」

NV:あなたはご自分の発意で現地入りされたのですか?

 現地本部の要請で私はあそこに飛んだ。

NV:なぜ、ジャジコフやザソーホフという彼らが望んだ人物たちは行かな かったのですか?

 それは彼らに聞いてくれよ。ただ一つ言えることは、誰が交渉に行くのか と言うことで、1日半を無駄にしていたということだ。将校の誇りにかけて 言っておくが、与えられた期限は3日間だった。3日で解決するか失敗する か。それを誰にするかで、1日半を失っていた。

NV:彼らはあなたとは覆面をしたままで話し合ったのですか?

 いや、そんなことはなかった。そして彼らは全員ロシア語で喋っていた。 電話でもロシア語。校内でもロシア語。私は言ったんだ。「ワイナハ*の言 葉で喋ろうじゃないか」って。彼らの返事は「いや、ロシア語で話して下さ い」と言うことだった。(*チェチェン民族・イングーシ民族のこと。隣接 しており、言語が極めて近い)

NV:何で2日間も、人質は2−300人だと言われていたのですか?

 そんなことわかりきってるでしょうが。数字には絶えず政治状況が絡むん だ。私は体育館に入ったとき何とか人々を安心させようと思って喋ったん だ。「皆さん、私が誰だか判りますか?」って。みんな言っていた「はい判 ります」それで私は言ったんだ。「私は何とかしようと思っていますか ら」って。それでも、彼らは飛びださざるをえなかった。

NV:ルスラン、何と言っても本当にありがとう。とにかくアウシェフが 26人を救い出したと言うことに多大な感謝を!

 ディーマ、26人ではなく、本当に大切なのはそのことではなく、最も大 事なのは乳飲み子たちなんだ。15人の乳飲み子たちだよ!

 彼らは大きく なった時、きっと知るだろう。ワイナハのわれわれとオセット人の友好は永 遠でなくてはならないのだと。これを絶対に書いて欲しいんだ。

NV:絶対書きますとも。

追記:この質問を、私は彼には聞けなかった。 なんでこの子どもたちはこんな目にあわねばならなかったのか?

原文: http://2004.novayagazeta.ru/nomer/2004/65n/n65n-s01.shtml

人名:
ルスラン・スルタノービッチ・アウシェフ:1954年 カザフスタン、 コクチェタフスカヤ州ウォロダルスコエ村に生まれる。機甲部隊の高級将校 であった。1980-86年アフガニスタンに従軍、何度か負傷、ソ連邦英雄。 1993-2002年、イングーシ共和国の大統領を務める。その間、多くのチェ チェン難民の受け入れに努めたが、連邦中央の圧力で大統領職を辞任。現在 はモスクワでアフガン帰還兵協会議長を務める。

アスランベーク・アフメードビッチ・アスラハーノフ:1942年チェチェン、 ノブイ・アタギ村生まれ、1967年以来民警。内務省に勤務、90年以降政界入 り。2000年以降ロシア下院議員。2003年、プーチン大統領のチェチェン問題 担当顧問に任ぜられる。カディロフ政権には批判的で、マスハードフ政権と の話し合いによる紛争解決に理解を示してきた。

マスハードフ:チェチェン共和国大統領(独立派)。元ソ連陸軍大佐。97年 の選挙で民主的に選出された。

ジャジコフ:アウシェフの後、イングーシ大統領となったFSBの将軍

ザソーホフ:北オセチア大統領

訳+補注 岡田一男

■イベント:「緊急報告会・チェチェンで何が起こっているのか」

 500人以上の人質が死亡するという深刻な結末によって、世界中に衝撃 を与えたベスラン学校人質事件。事件の真相や実行犯はいまだに解明されて いませんが、その背景には、91年以来続く、「チェチェン問題」があると 考えられます。

しかしベスラン、モスクワからの報道は、ロシア政府の発表による、ごく 限られた情報を大きく扱う一方、チェチェン問題に詳しく触れたものは少数 でした。

では、チェチェンでは何が起こっているのでしょうか。チェチェン問題を 取材し、考えつづけてきたジャーナリストとアクティビストが、映像資料も まじえて、チェチェンの人々の生き方、ニュースの見方、チェチェン問題に アメリカはどう関与しているのか、世界の関心と支援状況、チェチェン独立 の可能性、ロシア政府への圧力のかけかたなどについて、縦横に語ります。

当日は、今回の事件についての、主催者の考え方を示す共同声明を発表す る予定です。会終了後には、会場付近での懇親会を予定しています。

参加ご希望の方は、お手数ですが、末尾の申し込み用紙にご記入の上、 メール でご返送ください。事前の申し込みは必須ではありませんが、して いただくと受付が簡単に済みます。

集会名: 「チェチェンで何が起こっているのか」
日時: 9月18日(土) 午後6時〜9時
会場: 東京・文京区民センター3C会議室
http://www.city.bunkyo.tokyo.jp/shisetsu/civic/

報告者:
林克明:1960年生まれ。ノンフィクション・ライター。1995年から1年 10ヶ月モスクワに住みチェチェン戦争を取材。2001年「ジャーナリストの誕 生」で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。著書に『カフカスの小さ な国 チェチェン独立運動始末』(第3回小学館ノンフィクション大賞優秀 賞)。近刊に写真集『チェチェン 屈せざる人びと』(岩波書店)、共著に 『チェチェンで何が起こっているのか』(大富亮との共著、高文研)。『文 筆生活の現場 ライフワークとしてのノンフィクション』(石井政之編著  中公新書ラクレ)などがある。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会 (JVJA)会員。

大富亮(チェチェンニュース発行人):1976年生まれ。チェチェンニュー ス編集兼発行人。大学卒業後、市民平和基金に勤務。1999年にチェチェン戦 争が始まり、広報などを担当した。

司会: 青山正(市民平和基金代表)
主催: 市民平和基金・チェチェンニュース編集室
参加費: 1000円(会場費、資料費として)

連絡先:
1.市民平和基金 東京都文京区白山1-31-9小林ビル3階
Tel: 03-3813-6758 Fax: 03-5684-5870
mail:peacenet@mvb.biglobe.ne.jp
2.チェチェンニュース編集室 mail: ootomi@chechennews.org

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9月18日の集会「チェチェンで何が起こっているのか」に参加します。
(「集会へのメッセージ」以外は公表しません)

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 ●集会へのメッセージ:


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