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チェチェンニュース Vol.05 No.11 2005.05.01

発行部数:1705部

チェチェンの若者が見た日本

 日本に来て1年がたちました。しばらくみなさんにおたよりできなかったので、この1年をふりかえって自分が考えてきたことをお話ししたいとおもいます。ほんとうは上手に書きたかったのですが、ほんとうに私ができないことが2つあって、作文とおおぜいの人たちの前でスピーチすることです。(写真:左端がティムール)

 日本にくるまえに日本のイメージがぜんぜんちがいました。友達から聞いた話ししかしりませんでした。日本はべつの惑星みたいだとみんな言っていました。高いビルが多くて、いろいろなめずらしいものがたくさんあると聞きました。自分で知っていたのは、ホンダ、カワサキ、スズキとか、K-1とか、忍者や映画だけでした。

 日本にきてみるとほんとうにべつの惑星みたいでしたが、でもそれは東京のビルじゃなくて、日本人の人間関係や文化がいちばんびっくりしました。ぜんぜん知らなかったことが多かったです。2003年に私とお母さんが(アムネスティのスピーキングツアーで)よばれてはじめて日本にきましたが、一番さいしょにびっくりしたのは、空港からでるときでした。私たちの友達は、チェチェンの旗をもってむかえにきました。そのときはほんとうにうれしかったです。

 ほかにもびっくりしたことは多かったですが、ぜんぶ思い出すのにはすごく時間がかかると思います。むかしびっくりしたことももうなれましたから。でも、思い出したじゅんばんにいえば、目が見えない人のためにつくった黄色い道と、音が出る信号、森林の中にもある自動販売機、新宿のビル、古いお寺と神社、東京の皇居、水とお米を入れたらごはんができてそのままあっためておける(名前わすれた)機械、手からごはんをたべるハトがいるとか、ほかにもいろいろな動物。

 でもほんとうにびっくりしたのは、日本人です。日本人の人間関係。おたがいをそんけいし合うことをとてもだいじにします。世界でもそうしてほしいです。そして日本ではおたがいのめんどうをみるのはすごいと思います。ある日、お母さんとホテルへ帰る道をわすれてしまったので、日本人にききましたが、ぜんぜんちがうほうへ行くその人は、私たちをホテルまでつれていってくれました。それは勉強になりました。

 でも今わかりますが、日本人の人間関係にもあまりよくないこともあると思います。お金ある人はだれでもえらいということ。日本でわかいお金持ちの男がおじいさんと話すとき、友達とつかうことばをつかってもいいですが、おじいさんはていねいなことばをつかわなければなりません。お金がないから。それはちょっとよくないと思います。チェチェンの家におじいさんとか年上の人が入ったら、みんなが立って、自分たちの座る場所をあけます。チェチェンで一番大事なのは年ですから。お金はいつでも変わります(今日ある。明日ない。)が、人はずっと同じです。お金ある人が偉いときは、人の生活の意味はお金になってしまうので、みんな、やめよう!

 話をもとにもどして、2003年に日本に来たときに、ある町でロシアの留学生と会いました。最初ちょっとケンカしたら友達になりました。そのとき私は、日本に留学するのはほんとうにとてもいいチャンスだからがんばってくださいと彼に言いましたが、まさか自分が日本で勉強できると思いませんでした。

 新潟の友達が「ティムール・プロジェクト」をつくって、2004年、4月12日、私は2年のビザでまた日本にくることができました。いつか日本に来られると思わなかったからほんとうに夢みたいでした。今でもそうだと思います。そしてすぐにたくさんの友達ができました。日本人だけじゃなくて、中国人、タイ人、韓国人、いろいろな国の人と友達になりました。

 この1年で、私の日本の生活のイメージは何回も変わりました。最初は楽だった。よくみんなで遊んだり、バーベキューに行ったりしましたから。ある日、日本の友達とバーベキューに行ったとき、とても楽しかった。日本のバーベキューの準備はすごい。テーブルといすまでもっていきます。チェチェンでは、肉しかもっていきません。それをみてちょっと面白かったけど、ちゃんとそろった炭と、電子ライターを準備しているのをみて、もっと面白かった。それと、ガソリンと大きい傘までありました。でも、それを全部つかっても問題がありました。火がおきなくて。そのとき、私もチェチェンの火のおこしかたを思い出して、紙と小さい木をつかって、みんなでがんばって火をおこしました。

 夏はよく海岸に行って、友達と泳いだり遊んだりしました。最後は台風のときにも行きました。それは一番おもしろかったです。波がとてもでかかったから。また、去年、専門学校の先生たちとみんなで佐渡にも行きました。大勢で行ったので、とてもおもしろくて、さびしくなかったです。そういえば、日本人の問題がもう1つあります。日本の生活はとても楽しいですが、ひとりひとりはきっとさびしいと思います。日本の子供はちょっと大きくなったら(6歳から9歳だと思う)、ふつうの人とコンタクトがあまりありません。自分の家族でもだれもキスをしたり、抱き合ったり、お互いに触ったりしません。そのままでずっと生きていると、とてもさびしくなると思います。

 日本ではいろいろな大きい問題があります。たとえば毎年自分を殺す人が3万人いるとききました。それも日本の生活の問題だと思います。それはほんとうにとても大切な問題なので、自分でもそうする人が少なくなるためにどうしたらいいか考えましたが、やはりreligion(宗教)が日本でも必要だと思います。

 話を元にもどします。この1年、楽なことだけでなく、小さい問題もたくさんありました。たとえば、日本料理は、はじめは食べたらすぐおなかがいたくなりました。でも今は、大丈夫です。いつか自分が納豆を食べられるとは思いませんでしたが、今は大好きです。あとは、ずっとアルバイトがみつからないことも問題でした。アルバイトをみつけることがそんなにむずかしいことだとは知りませんでした。また、私にとって日本語の漢字の問題がまだまだつづいています。

 こういういろいろ小さな問題がありますが、今の日本の生活はとてもおもしろいです。先月は東京に行きました。「RING2005」という組織が、世界中のいろいろな問題をもっている国から学生をよんで集まって話しをしました。イスラエル、パレスチナ、イラクなど全部で10カ国以上からきました。ぜんぶで1週間いっしょにすごしましたが、でもとくにさいしょの3日間、みんなと家族のようになれたのがよかったです。そのとき、WWU(第二次世界大戦)に行った、本多立太郎さんの話がおもしろかったです。本多さんは90歳以上でしたが、私よりずっと若かったです。その1週間でできた友達とわかれるのはほんとうにむずかしかった。いつかまたみんなと会いたいです。

 今、私にとって一番大切なのは、勉強とアルバイトと剣道です。これからも、いっしょうけんめいがんばっていきます。国で小さいころから言うことばは、「自分が「必ずなにかをする」と他人に言うようり、それを自分に言って必ず行いなさい」ということです。私もそうします。

 日本人からよく「日本の生活になれましたか?」としつもんされますが、日本の生活にほんとうになれるのはむりにちかいと思います。いつも何か新しいことをみつけるからです。何よりも日本人の心をわかるのがとてもむずかしいことだと思います。でも、「日本の生活になれましたか?」というしつもんをされたら、私はいつも、「私はじつは日本人ですよ」と同じこたえを言います。

 この1年は、自分でアルバイトをして学ひをはらえるようにしたいです。そして、だんだんと自分の力で生活できるようにしたいです。しょうらいは、大学でロボットや機械のことをべんきょうしたいです。でもせんそうで中学校から数学をちゃんとできなかったので、おいつくためにこれからたくさんべんきょうしなければなりません。

 この1年間たすけてくれた私の日本の家族とともだちのみなさん、それからティムールプロジェクトをおうえんしてくれたみなさん、ほんとうにどうもありがとうございました。

 2005年4月4日
オズダミール・ティムール

「ティムール・プロジェクト」: http://www.geocities.jp/t_project2004/
アムネスティのスピーキングツアー: http://www.amnesty.or.jp/campaign/Speakingtour2003.htm


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