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チェチェンニュース Vol.05 No.16 2005.05.28

発行部数:1692部


「コーカサスの金色の雲」再放送は今夜! 詳しくは: http://chechennews.org/event/index.htm#20050528

モスクワ大停電にバサーエフが犯行声明

 モスクワで5月25日に起こった停電事件に対して、バサーエフが犯行声明を出したという報道が流れた。犯行声明が出たことそれ自体は、事実だろう。いままでロシア政府は、バサーエフたちが犯行声明を出した事件については、ほとんど検証しないままに、「テロリスト」を非難していた。しかし、今回のような、当初「テロの可能性はない」と断言していたような事件にあの有名なバサーエフからの犯行声明が突きつけられた場合、どんな反応をするのだろうか。「テロではない、バサーエフは嘘をついている」と反論するのか、「確かにテロだった」と言うのか、それとも沈黙を選ぶのだろうか?

 テロだった場合、大都市のライフラインをチェチェン過激派に握られていることになり、チェチェン戦争の勝利の上を駆け上がってきたプーチン政権の権威は低下するだろう。テロの可能性を否定した場合、プーチン政権とバサーエフの間で声明文の応酬が起こるかもしれない。いずれにしてもロシアの市民の間に不安は拡大するだろう。これがもし冬だったら・・・。どちらを選んでも政権側が不利になると判断した場合、「黙殺」が選ばれるはずだ。

 一般に日本では、チェチェンのイメージを悪くするような情報は、ささいなことでも報道されるのだが、チェチェンで起こっている人権抑圧のことや、チェチェン側からの和平提案については、どの新聞も、テレビも報道しようとしない。たとえば「ウルマン事件」のようなことだ。今回のチェチェンニュースでは、ロシア参謀本部情報総局の士官たちが犯した犯罪と、それが無罪になったいきさつについて解説します。後半にアンナ・ポリトコフスカヤの記事も添えます。(と)

ウルマン事件−−−6人のチェチェン人が焼殺され、犯人たちは再び軍役へ

 (大富亮/チェチェンニュース)

 2002年の真冬、1月11日、チェチェン南部の町、シャトイの近くの雪の路上を走っていた1台の自動車が、銃撃を受けた。車には6人のチェチェン人が乗っていて、一人が即死した。銃を撃ったのはロシア参謀本部情報総局(GRU)の将校たちだった。GRUは対外情報機関でもあり、紛争地にも部隊を派遣して偵察活動をしている。

 エドゥアルド・ウルマン大尉、アレクセイ・ペレコフスキー少尉、アレクサンドル・カラガンスキー中尉、ウラジーミル・ヴォエヴォディン准尉。彼らはチェチェンの野戦司令官ハッターブを捜索する任務でチェチェンにいて、その日は道路を走る車のチェックをしていた。彼らはのちに、「自動車は警告したのに止まらなかったから、撃った」と証言する。

 自動車は止まり、車内には5人のチェチェン人たちが生き残っていた。子どもがひとりと、妊婦がひとり。教師がふたり。そして運転手。けが人たちのうめき声が響いていた。銃を撃った将校の一人が、急いで手当を始めた。将校たちは司令部と無線で連絡を取り、この事件にどう始末をつけるかを決めようとした。

 彼らの上官であるアレクセイ・ペレブスキー少佐は、「拘束した市民を殺せ」と命令した。現場の指揮官だったウルマン大尉がそれを部下たちに伝え、ロシア兵たちは手当をやめて被害者たちから離れた。そして、こんどは手にしたライフルを車に向けて発砲し始めたのだった。

 事件が終わった後に現場を歩いた人が証言したところでは、道路の上には血の流れた後が残っていた。たくさん血の流れた跡はたぶん、車の置かれていた場所だったろう。そして、雪の上に点々と続く赤黒い血痕が続いていた。車に乗っていたチェチェン人の一人が、銃撃から逃れようとした跡だったのではないか。その証人は語った。

 だが、誰も生き残らなかった。この事件の目撃者はGRUの兵士たちだけだ。

 事件で死亡した人々の親族が告訴し、南ロシアの町ロストフで、ウルマンたちに対する二度の裁判が行われた。1度目も2度目も、陪審員は無罪の表決を下した。犯行の事実(銃殺し、遺体を焼いていた)は動かなかったにもかかわらず、兵士たちは「命令に従っただけ」だから無罪となったのだった。しかし、命令を下したはずの上官、プロトニコフ大佐は「そんな命令は下していない」と証言した。「命令に従ったから無罪」なのに、上官は「命令なんかしていない」。しかし陪審全員一致で「無罪」。そこには何の論理もなかった。判決のあと、ウルマン大尉は「この評決を歓迎します。事件に関わった将校は、今後も全員が軍役を続けます」と語った。

 この事件で誰も責任を取らなかったことに対して、チェチェン人たちの怒りが爆発し、5月20日にグロズヌイで3000人規模の抗議集会があり、AFPなどが伝えたが、日本のメディアは伝えなかった。これだけの抗議行動は、ロシア軍による占領下の都市ではいままで聞いたことがないような大規模なものだ。チェチェンの親ロシア派大統領アルハノフは、「違法な判決だ。この判決はロシアの司法に対するチェチェン人の信頼を損なう」と語った。グロズヌイではチェチェン人総出の抗議、しかも親ロシア派まで怒っている。

 チェチェン問題を追うロシアのジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが最近発表した論説を紹介。無法のまかりとおるロシアの司法は、結局こういったチェチェンでの無法が許されていることを根本にしているというのが、彼女の見方だ。ポリトコフスカヤはグロズヌイでの大規模な抗議行動に対しても懐疑的だが、これだけ長い間チェチェンの惨禍を見てきた人には仕方ないかとも思う。大急ぎで訳してくれたY.K.さんに感謝。

ウルマン事件−−−陪審員に最低点をつける(抄)

(アンナ・ポリトコフスカヤ
「ノーヴァヤ・ガゼータ」36号 2005.05.23)

無罪の殺人犯

 「チェチェン人を処刑しても良い。これは命令である」というロストフ市民(陪審員会)の声明が、チェチェン人に突きつけられた。

 ウルマン事件の真相を思い出してみよう。2002年1月11日、チェチェンのシャトイ地区ダイ村の端で、地区の中心部から車で帰宅しようとしていた6人が銃殺され、その後焼かれた。軍参謀本部情報局(GRU)の小隊の兵士たちが殺人犯である。この事件の裁判は2度、ロストフ・ナ・ダヌーの北コーカサス地方軍事裁判所で行われた。

 どちらの裁判でも、被告たちは陪審員に、上官である陸軍大佐プロトニコフから(被害者のチェチェン人たちを)殺すようにという口頭の命令を受けたと証言した。陪審員たちは二度の裁判で、彼らを殺人犯だとは認めたものの、<無罪の殺人犯>だという結論を下した。また、プロトニコフには全く注意を向けなかった。また、「口頭の命令」というおかしな隠蔽工作に関して彼に責任を問うこともなかった。

 まず第一に、今回適用された法手続き、陪審裁判について。ロストフ市民の代表たちによる、このどうしようもなく不快な決定によって、ロシアの陪審制の本来の意義が忘れられようとしているのではないか。まるで、私たちがまだ陪審裁判を行う用意ができていないとでも言っているかのように、ある公開された民衆の議論において正反対の結論がだされ、殺人犯の無罪判決がなされた歴史などあるのだろうか。

 疑う余地もなく、これは間違っている。陪審裁判は被告の訴訟の可能性を広げるため、そしてもちろん、原告のよりよい弁護のために設けられたはずである。しかし最近のウルマン事件にはとても大きな問題があった。殺されたチェチェン人の家族の弁護士たちは極めて貧しく、沈黙を選ぶしかなかった。村人の家庭には真剣な弁護士たちに払えるお金がなかったのだ。

 ロストフで陪審判決が公表された翌日の5月20日、チェチェンの首都グロズヌイで「ウルマンはファシストだ」「プーチン、私たちを無法状態から救出せよ」というスローガンのもとに集会が行われた。

 ところであなたたちは今までどこにいたのか。被害者の家族が1000ルーブル要求された時、有能な弁護士たちの尽力によってのみ事件の勝訴ができるのだと明らかになったではないか。

(中略)

  ロストフの2つの民間のグループが、「ロストフでチェチェン人は自分たちと同じ人間だと見なされていない」という、よく知られたことについてのデモをした。これが、この判決に隠された真相だ。ウルマン事件は、民衆の日常化した地域的ファシズムの存在を示す証拠書類である。階層分化社会でのデモは「最上級」と「最下級」の民族に対して行われている。陪審員たちが買収されたという話もあったが、これは真実ではない。陪審員は二度違うメンバーによって法廷で、ロストフ市民には「人権」があり、チェチェン人の人権はそれとは別の種類のものだと解釈できる、民族ごとに違った人権へのアプローチを確認してしまった。

(中略)

ちょっとしたでっちあげ

 先週出されたチェチェン関連のもうひとつの判決は、ウルマン事件よりもっとばかげている。それは、「抵抗をやめるためには、武器を置くのではなく、高い金を払え」という意味のものだった。この判決はロシア最高裁の裁判長ガリヌルリンが担当した刑事事件に関して、陪審員会から出された。

 武装集団「ジャマート」のメンバーで、ウルス・マルタン地区中心地出身のチェチェン人男性24歳、ザウル・ムシハーノフの事件にでっち上げの有罪判決を下した。証拠文書にも納まった『「ジャマート」のメンバー』は、皆さんご存知のように、シャバルキン将軍(北コーカサス対テロ作戦本部のスポークスマン)の好きな言葉である。

 ザウル・ムシハーノフは自分の金で自動小銃を買い、2002年8月7日に戦いに出かけた。10日間「山」の中で過ごしたが、8月17日に考え直し帰宅、自動小銃を祖母の畑に隠し、武器を隠した場所を教えて警察に出頭した。10日間彼は犯罪集団の「側」にいたことになるが、もたなかった(単にうまくいかなかっただけかもしれないが)。(自首したことで余罪に問われることはないだろうと、)彼も家族も安心していたが、警察でその期待は覆された。その時点では捜査もされていない「容疑」までかけてきたのだ。これはチェチェンの地方局や地方検察庁でよくあることだが、チェチェンでは「少しでっちあげる」といったことが奨励されているので、容疑をかけてもいいのである。

 ムシハーノフは2004年9月に、チェチェンの最高裁で9年の実刑判決を受けた。第209条2項―武装集団での攻撃(事件では一つも武装集団の存在が証明されていなかった)。そして第222条―これは「チェチェン」関連事件へのいつもの補足であるが、「武器」の所持、保管・・・有罪判決の主な要因は6月3日から4日にかけての未明に行われた「ジャマート」の一味による犯罪である。つまり、(なぜか)8月7日から17日まで「ジャマート」に参加したことが判決の決め手となったのだ。「彼のグループ」の犯罪は6月に行われたのだが・・・。

(中略)

 今週のホドルコフスキーの裁判、モスクワのメシャンスキー裁判所で読み上げられた「ユコス」事件の判決について、弁護団の一人が、ソ連時代を通してみてもこんな判決は聞いたことがないと語った。チェチェン関連の事件に弁護士が携わっていないから、こんなことが起こるのだ。チェチェン関連の事件でなら、こんなでっちあげの判決は、2回に1回なんてものではない。真実に基づく判決など例外である。圧倒的多数の判決が事実と異なっている。まずそのこと自体に、有罪判決を下さなければならない。取り上げて、容疑をかけて。

 もちろん、ロシア最高裁にとって、新たな容疑の提示をしても利益がない。ここはウルス・マルタンの警察のようなインチキでもなんでもないはずだ。なぜガリウルリン裁判官が容疑の拡大なんかに走ったのだろう。

 おそらく、証拠不十分だったからだろう。ムシハーノフ事件には9年の実刑判決に値する容疑がなかった。経験豊富な裁判官は、第209条を拡大解釈することはできなかった。そこでムシハーノフの立場を裏付けてでっちあげをした。「ジャマート」の「一員」であったことを武装集団への在籍として、無罪を認めなかった・・・配慮に欠けた統治者的イデオロギーは今許されない。少しでっち上げたことなら、完全にでっち上げなければならないのだ。

 今後、一体誰が自首しようとするだろう。もし自首したとしても私たちは彼らから何を得ようというのか。彼らが投降しないようにするためだろうか。そうして最後まで行くのだろうか。最後に何があるのだろうか。なぜムシハーノフの判決は原則通りのものだったのか。そしてムシハーノフのような若者にこの判決は次のようなことを示す。質疑は打ち切られた。「私たちは別の道で行くのだ」と。

 先週ウルマン事件、ムシハーノフ事件に出された判決は北コーカサスで続くクレムリンの政策の本質を説明するものだ。法律はチェチェン人に例外という形でのみ広がる。以前と同様にそれらは国の法分野の外にある。こんなふうに言い表すことができるだろう。


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