チェチェン総合情報
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「いま世界で」
アゼルバイジャン・バクーより/文と写真=林克明
2004.02.20/信濃毎日新聞


「奴らはペストだ。殲滅しなければならない」

 ロシアのプーチン大統領は、2月6日に起きたモスクワの地下鉄爆破の直後、犯人がチェチェン独立派だと断定し、こう発言した。救出作業も現場検証も終わらないのに犯人が分かるという。

 英国に亡命したリトビネンコ元KGB(旧ソ連国家保安委員会)大佐は「ロシア特務機関の犯行の可能性」を指摘した。だが、真実がどうであれ、テロが起きるたびにロシア当局はチェチェンへの迫害を強化し、それを世論も支持してきた。同じことがまた繰り返されるのか。

 16世紀末からロシアはチェチェン侵略を開始し、住民の半数を殺して1861年に併合した。その後もチェチェン人は何度も抵抗し、ロシアはジェノサイド(大量虐殺)で応じた。1994年に始まった現在の戦争も、同じ流れのなかにある。犠牲者は推定17万―20万人。現在、チェチェンの住民は100万人だが、弾圧を恐れた人々が世界中に亡命し続けている。アゼルバイジャンのバクー市も避難先のひとつ。地下鉄テロの発生直前まで、私はここで難民たちと過ごしていた。

 寒風が吹き荒れる一月下旬のある日、平屋の小さな家が密集する地区にあるライ―サ・ハムザーエヴァ(46)の家を訪ねた。二部屋に娘と住み、家賃を払えずに逃げ込んできた難民も一緒にいた。太陽の光は全く差し込まず、裸電球にベッド、赤いちいさな電気ストーブが部屋の隅に置かれている。

 パンとサバの缶詰をご馳走になりながら、彼女の話を聞いた。ライーサは、チェチェンのグロズヌイの市場で肉を売って戦禍の中を生き延びていたが、99年10月21日にロシア軍は市場をミサイルで攻撃。彼女の左腕はちぎれ、左目も失明した。病院の反地下で療養し低タ彼女は、両親を殺された4人の子どもたちと出会う。同年10月29日、避難民の列にロシア空軍が低空飛行で爆撃した。このとき車内で焼け死んだ夫婦の子が、ライーサが引き取った娘ザリーナだった。

 「左目を失って片腕も失った私には、4人の子を育てるのは無理。しかたなく当時10歳だった長女だけを引き取ったの。」

 そのザリーナも今は15歳。障害者の義母のために家事を切り盛りしていている。「この子がいなかったら私は何もできないわ」とライーサは言う。

 彼女の案内でバクー市内の難民を訪ねると、重度身体障害者の多さに驚かされた。役8千6百人に難民中、少なくとも5百人が手足の切断、失明、人口校門を要するほどの重度障害者だ。

 ライーサは、近く障害者団体のサイトを立ち上げて世界中に訴えるという。そして一番の望は「ザリーナの弟と妹を探しにチェチェンに戻る」ことだ。

 だが、チェチェン独立を求める人々をプーチン大統領が「ペスト」と呼ぶ状況が続く限り、その望は叶いそうにない。


林克明(はやし・まさあき)/ジャーナリスト
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信濃毎日新聞(2004.02.20)に掲載された記事を、著作者の許諾の下に再掲