チェチェン総合情報
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チェチェン戦争とは何か
Days Japan創刊号(2004.03.20)

サマーシキ村で、ゲリラ兵士を迎える女たち

ロシア連邦の地図を広げてチェチェン共和国の位置を示すと、点でしか表せないほど小さい。岩手県ほどの広さで、人口は百万人強。ロシア連邦の1%にも満たない。ロシア帝国に併合された彼らが独立宣言し、ロシアが軍事力で潰そうとしている。これが戦争の根本問題だ。

ロシア帝国は16世紀からチェチェン侵略を開始し、住民は徹底抗戦していた。18世紀末からロシアは攻撃を強化し、19世紀前半の50年にわたるカフカス戦争でチェチェンは人口の半分を失う犠牲を出し、1861年にロシア帝国に併合された。

帝政時代、ロシア十月革命後もロシアは弾圧を続け、そのつどチェチェン側が抵抗。それに対しロシア側は常にジェノサイドで応えた。とりわけ1944年のスターリンによる民族強制移住では、わずか2日間でほぼ全民族が貨車に詰め込まれてカザフスタンに移送され、人口の約60%が失われたという。

現在の戦争のきっかけは1991年、チェチェンが連邦からの独立を宣言したことである。独立をつぶすために94年12月にロシア軍が全面侵攻した。96年8月末には停戦協定が結ばれたものの、99年9月にロシアは再侵攻し、全土を占領。今も武力抵抗が続いている。 

戦前の人口が百万人強のチェチェンで、犠牲者は17万人とも20万人とも言われる。しかし、現在の人口や犠牲者数は正確ではなく、そのこと自体が現地の混乱ぶりを現しているのではないか。

最も重要なのは、ロシアの言う「テロリスト掃討作戦」だ。その実態は、ロシア軍が徹底的に家宅捜索を行い住民を連行、収容所などで拷問して殺害することだからである。かつて私が山奥の病院で会ったチェチェン保健大臣のハンビーエフ医師は自ら収容所体験も踏まえて、逮捕された人の8割が死亡していると証言している。

そして拷問で心身障害者となっても運良く生き残っていれば、家族はロシア軍に膨大な金(おおむね2000ドル〜6000ドル)支払って返してもらう。また拷問死の場合も、ロシア軍は遺族に金銭を要求して遺体を渡している場合が多い。金を用意できなければ捨てられる。実際、大量の遺棄死体が何度か発見されている。こうして人間が消えていく。

これが戦争の実態だ。

戦争の要因としては、ロシア側にとっての統一国家の維持、チェチェンを通過するパイプラインに象徴される石油利権、クレムリン内部の政治、などがある。そして抵抗する人々はイスラムテロリストだ、というのがロシアの主張だ。しかし、数百年にわたるロシアの植民地主義による少数民族弾圧が争いの根底にあることに変わりはない。(一部改稿)

写真: パルチザンを迎える村人たち(Days Japanに掲載された写真とは異なります)  


林克明(はやし・まさあき)/ジャーナリスト
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Days Japan創刊号(2004.03.20)に掲載された記事を、著作者の許諾の下に再掲